正しい表現とは何か。桐野夏生『日没』を読む

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小説家・マッツ夢井(本名・松重カンナ、40代女性)の元に届いた召喚状。国からのお墨付きである”文化文芸倫理向上委員会(通称:文倫)”を名乗る団体からであり、拒否権は無く出頭義務があるらしい。それに応じて指定の場所へ出かけると、彼女は海辺の隔離された施設に収容される。表向きは治療であるが、真には作家としての転向・更生の日々を描く。自死をも強制するような苦しみの日々を過ごしながら。

文倫は映倫の文学版的なものという記載がp59にあります。小説の内容にクレームがあったことで(本作においては女性蔑視と差別的表現)、マッツ夢井は規制の対象となってしまった。表現は規制・コンプライアンスの下での自由となり、芸術となる。誰もが安心して読むことができる小説が良い作品であり、他はもってのほかの悪いもの。

だから文倫は、良い小説が書けるように治療してあげますよと、恐ろしい日々を提供する。時間割通りの生活、入院食の方がマシと思える食事、WiFiなし、他の収容者との会話禁止、終日監視、強制された作文など。減点がかさむともっと酷い仕打ちが当然のように存在する。しかもこの施設から、いつ出られるのかはわからないし、永遠に出られず朽ちていく人間の方が多い。

弾圧される思想・表現、追い詰められていく肉体と精神。自由に書けることの尊さ、いつも通りの生活ができることの尊さを感じることがじんわりと響きます。と同時に人ってのは、簡単に自由を奪われてしまう生き物であることも。

社会に適応した小説とは何か。お涙頂戴の感動もの、映画原作になるようなもの、それこそノーベル文学賞になるようなものなどか。ただ、本作にも出てくるがいろいろな人やものを描くことがという想いはある。それにしても読みながらここまでゾクゾクさせられるとは。恐怖を覚えつつもページをかじりつくように読んだ。そして、こんな世界は近づいてきてはいる。

“コンテンツじゃない、作品だ。私が血と汗と涙で書いた作品だ。それをコンテンツだなんて呼ぶな。誰かが書いた作品に軽重もないし、良し悪しもない。勝手に差別するんじゃないよ。(p294)”

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