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ささやかな楽しみを重ねる旅 乗代雄介『旅する練習』

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2020年3月、コロナ禍で予定がなくなった春休み。中学入学を控えたサッカー少女・亜美と、叔父で小説家の「私」は、我孫子から、鹿島アントラーズの本拠地をめざして、利根川沿いを歩き始める……。サッカーの練習や風景描写をしながらの「書く、蹴る、歩く」の旅を描く。第164回芥川賞候補作。

最近、読んだ小説の中で新型コロナウイルスが登場したのは本作で2冊目。感想を書かぬまま止まってる塩田武士さんの『デルタの羊』の中でチラッと出てくる(といってもあの小説は2020年より先に進む内容であったが)。新感染症によって生活が加速度的に蝕まれる2020年3月、何気ない旅路の中で直面する学校や図書館の一時閉鎖。そして、Jリーグの延期。

その中で回数を刻むリフティングと奥ゆかしさを覚える風景描写が染みる。亜美(これが”アビ”と読むんだな)と私の軽やかな会話劇になんだかホッとする。旅路の中でめぐりあう大学卒業を控えた女性・みどりが直面する現実に辛さを覚える。でも、こんなことが起こってしまった人生なんだけど、終着駅のカシマスタジアムを経てそれぞれの新しい旅路が始まっていく。ささやかな時と風景を描く、そのかけがえのなさを味わう一方で終わりの唐突感に驚いてしまう。それでも惹かれる一冊だ。

本作には鹿島アントラーズや日本代表監督として活躍したジーコ氏が、ひとりの人生を変えたとして頻繁に名前が登場する。彼に関してはJリーグ創成期から知っているが、僕は日本代表監督における失敗から嫌いな部類に属する存在だった(簡単に言えば、絶対に好きなチームの監督になって欲しくないということ)。

それが本著を読み、幼少期からの氏の生活を知って猛省した。そのジーコが人生において絶対に忘れてはならない言葉というのが”忍耐”と”記憶”の二つ。忍耐を忘れないための記憶。だからこそ彼はあそこまでの選手になれたのだろう。ちなみにメッシの名前も出てくるが、本を生涯で一冊すらも読んだことがないらしい。

“どんなものでも死はありふれたものと知りながら、それがもたらすものを我々は計りかねている。それでも何か失われたように感じるのは、生きることが何事かもたらすという思い上がりの裏返しだろうか(p130)”

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