死ぬ瞬間まで男であり、女である。 紗倉まな『春、死なん』を読む

”願はくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ” (西行法師)


 100ぺージ手前の中編「春、死なん」、50ページと少しの短編「ははばなれ」の2作を収録。前者は老人の性と孤独、後者が母としての性をテーマに書かれている。著者の作品は『最低。』しか読めてませんが(こちらは映画の方も鑑賞)、そこから確実な成長を示し、テーマが深々と突き刺さる本作には感嘆するほかないです。

 「老人は黙ってゲートボールでもしていれば満足なのか(p88)」と怒りに震えた声で、息子嫁と孫娘に答える70歳の富雄。表題作『春、死なん』は妻に先立たれて6年が経過した富雄にスポットをあてる。パートナーを失ってしまったがための埋めようのない孤独。それでも決して枯渇することのない性欲。50年ほどさかのぼる学生時代に一度だけ関係を持った文江との邂逅。以前に息子からの提案で実現した2世帯住宅のおかげで不自由なく暮らしていける、と思っていたはずが少しずつ歪んでいったその先にあった妻の死は、富雄に6年経っても決して消えない寂しさを植え付け、自由を奪った。

 再び出会った文江とのやり取りを通して、やっぱり自覚する男としての執着、性や自由への足掻き。とりわけ床に散らばったアダルト雑誌をみた孫娘に「ありえないでしょ。じじいのくせに」と言われたのに対し、「どう足掻いたって変わらないんだ。何も。昔も、今も。俺が男であることは、欲望を持った男であることは、一切変わってなんかいない。」と怒気を孕んで言うシーンは白眉。そんな富雄でも食事の際は、二つの茶碗にご飯をよそい、ひとつを誰も座ることのない席に置いている。

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 「ははばなれ」は、女として生きることと妻・母として生きることへの葛藤を描く。結婚して2年経つが、子どもを授かってない20代後半のコヨミ。彼女の視点からの物語となるけれど、恋に性に軽やかになっていく母を軽蔑のまなざしでみるも、自身が子を産まずにこのまま暮らしていこうとする決意に迷いがある。母は亡き父だけを愛する聖人ではない。それはわかってはいるけれど、どうしてもそうあって欲しいという願望。『春、死なん』のラスト付近でも出てきた清廉潔白なじいさん、そして夫婦仲良い自慢の母という家族からの理想像や役割からの解放を訴える。血縁者であっても、ひとりの人間としての尊重。ただ、それが難しい。

 いくら年をとっていっても死ぬ瞬間まで男であり、女である。紗倉さんは人間の持つ欲求として、半端なことをせずに真正面から描き切っている。年齢を重ねると、”はしたない”と世間から許されなくなっていくことも、本作を読めば考え改めるかもしれない。今年またひとつ衝撃を覚えた作品が増えました。

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