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金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』を読む

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心を病んだ恋人との同棲に疲れ、自らも高アルコール飲料に溺れていく(『ストロングゼロ』)。職場の後輩との交際にコンプレックスを抱き、プチ整形を繰り返す(『デバッガー』)。夫から逃避して不倫を続けるが、相手の男の精神状態に翻弄される(『コンスキエンティア』)。生きる希望だったライブがパンデミックで中止、恋人と心中の旅に出る(『アンソーシャルディスタンス』)。ウイルスを恐れるあまり交際相手との接触を断つが、孤独を深め暴走する(『テクノブレイク』)。生きる苦しみに彩られた全篇沸点超えの作品集。コロナみたいな天下無双の人間になりたいーー読めば返り血を浴びる

 表題作「アンソーシャル ディスタンス」は、昨年に新型コロナウイルス感染症が流行し、緊急事態宣言が発令されていく中で、真っ先にコロナ禍の日常を描いた作品でした(新潮2020年06月号に掲載:20年05月07日発売)。それを含む50ページ強の短編を5つ収録し、コロナ以前が3作(「ストロングゼロ」「デバッカー」「コンスキエンティア」)、以降が2作(「アンソーシャル ディスタンス」「テクノブレイク」)という構成。表紙はDavid Lynchの作品より。

 いずれも女性が主人公。生きていることを自覚するための男性への依存、そして、丸腰の生と性を受け止める。女性の読者の方が共感を呼ぶかもしれませんが、男性の自分からしても重たいボディブローを脇腹にグッと撃ち込まれる感じ。冷徹としている中で鋭く熱さを感じさせる文章が並ぶ。

 世界中の誰もが認めるほどの容姿を持つイケメン彼氏が鬱病を患い、変わり果ててしまったことで酒に溺れていく女性を描いた「ストロングゼロ」。アルコール度数の高い飲み物、いきなり強烈なフックを浴びせる一遍です。彼が生きていく重力を失ったことが伝播したのか。彼という軸を完全に失ったことで、依存は他の対象へと変わる。ストロングゼロは魔のアイテムとはよく言いますが、プライベートも仕事も増えていく酒量によってコントロールを乱し、完全に墜ちていく。主体的に生きるとは何か。彼氏を立ち直らせるというのが無理ゲーと悟った時、空になったストロング缶が大量に散らばる光景を前にして、割れるような頭の痛みと共に天にも昇るような気持ちと空虚さが入り混じる。

 収録5編の中では一番最新の新潮21年1月掲載「テクノブレイク」。あるカップルのコロナへの警戒感の違いが、溝となり、不信感となり、結びついていた心を引き離していく。コロナに罹らないために消毒の徹底と会う回数を減らす。それまでは激辛料理からの性交という2人のルーティンがあり、その精度を高めていくことこそが、2人の身体的精神的な結びつきを強固にしていたのに。そして、仲を決定的に引き裂くことになった無断動画撮影。不時着する想いと繋がれない欲求不満は、自慰行為の精練へと繋げる。コロナ禍における日常の描写といい、モザイク無しの性描写といい、金原さんにしか書けないなという思いを強めます。

 一番印象的な表題作「アンソーシャル ディスタンス」。ソーシャル・ディスタンスという言葉が当たり前になりつつあり、都知事の「密です!」が声高に叫ばれてゲームにもなった頃に書かれたもの。当時(といっても昨年ですが)、こんな早く今の状況が小説になるんだと驚きましたね。あるカップルが”一定の距離を保つ”という新たな社会規範と目先の我慢よりも、2人でいれば無敵/全能であると本能的に心身ともに強く繋がることを選択する。不謹慎とどれだけ周りにいわれようとも。

 この短編では、2人が出会うきっかけとなったバンドのライヴが中止になったことで、気持ちの糸が一気に切れてしまいます。自分たちの未来がまるで見えなくなってしまう。音楽が失われていくことに対する大いなる憂いは、金原さんの想いがダイレクトに溢れている。自分も高校生の時からもう18年ぐらいずっとライヴに行き続けているので、音楽やエンタメが不要不急という窮屈な現状(最近も音楽フェスの中止が続いておりますが)に対して、辛いものを感じる日々です。表題作はそういった点も含めて、本著で一番印象に残る作品でした。

 主人公である35歳女性が、同じ職場の若手24歳の男性と交際を始める。11歳差という障壁を乗り越えねばならぬと決意し、バグを起こしている顔に美容整形を繰り返して抜け出せなくなる「デバッカー」。結婚している身ではあるが、夫と夫以外の男達との性交を繰り返すことで自分と向き合う「コンスキエンティア」もまた毒素が高い。

 どの短編にも言えるのは、生きるというのはコントロールできないものだということ。そして、自分を律するというのは難しいということ。追い詰められると何かに縋り、何かに溺れ、何かを追い求める。誰かにおかしいと言われようが、狂っていると言われようが、壊れていると言われようが、自分はそうしないと保てない。2020年に世界が変わろうと、自分の、自分だけの世界は誰にも侵されたくない。覚悟を決めて読まないとこの毒にクラクラとする。

コロナが蔓延し始めた世界の中で、こんなにも幸福な想像ができることに初めて喜びを感じた。こんな幸福な世界は、コロナがなければ想像もできなかっただろう(P231 アンソーシャル ディスタンス)

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