コロナ禍における音楽と社会の関係 岡田暁生『音楽の危機』を読む

2020年、世界的なコロナ禍でライブやコンサートが次々と中止になり、「音楽が消える」事態に陥った。集うことすらできない―。交響曲からオペラ、ジャズ、ロックに至るまで、近代市民社会と共に発展してきた文化がかつてない窮地を迎えている。一方で、利便性を極めたストリーミングや録音メディアが「音楽の不在」を覆い隠し、私たちの危機感は麻痺している。文化の終焉か、それとも変化の契機か。音楽のゆくえを探る。

 音楽学者による、コロナ禍における音楽と社会の関係、これからの可能性を探る。三密・不要不急セットで、世界中からしばらくの間、消えた生の音楽。それでも、人々は渇望する。あの場所を。「第一章 社会にとって音楽とは何か」が読み応えあり。生命維持にとって音楽の存在とは。当たり前の本質と脆さを炙り出されたのは、音楽も同じです。

 中盤からはクラシック音楽の成り立ち、それが示す社会モデルみたいな話になっていく。僕はクラシックに関しては無知なので、この辺の内容はなかなか難しい。もっともっと第1章の内容を掘り下げてもらいたかったのが本音です。

 自分自身、今年は2月に行った4本のライヴ(RUSSIAN CIRCLESの来日公演は奇跡と思えてきたし、閏日のsukekiyo公演はよくぞ開催してくれたと思ってる)で、生で聴く・体感する音楽からは遠ざかっている。やはり、あの場にいるから感じるものがある、思い出として残る。久しぶりのライブを誰にすべきかは、最近になって考えていたりします。ちなみにオンラインのライヴはあまり見ていない状況。

音楽や芝居が人間にとって果たしてただの娯楽だったのか、本来それらもまた人間の生の根源にかかわる営みだったのではないかということだ(p6)

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

目次
閉じる