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芝居を超えた先に漏れる感情と嗚咽『茜色に焼かれる』鑑賞

1組の母と息子がいる。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母子。母の名前は田中良子。彼女は昔演劇に傾倒しており、お芝居が上手だ。中学生の息子・純平をひとりで育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。経営していたカフェはコロナ禍で破綻。花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。数年振りに会った同級生にはふられた。社会的弱者―それがなんだというのだ。そう、この全てが良子の人生を熱くしていくのだからー。はたして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは?

 新型コロナウイルス感染症が作品の中で常態化した映画は、これが初めてです。今は2021年ですが、映画は1年前ぐらいに製作されていることが多いので、コロナ以前の作品の公開が今も続いています。マスクをするのが常識になった世。それがスクリーンの中でも地続きになったわけですけど、果たして今後もこれに続くのか。アフター6ジャンクションの去年の11月30日の特集で入江悠監督が「コロナというのが物語にひとつ乗ってくるのが難しくさせる」と言うのを聞いたけど、終息なんてしないだろうし、これが当たり前の風景として記録されていくんじゃないでしょうか。

 物語は、2019年4月の東池袋自動車暴走事故を想起させる夫の死亡事故(ちなみにオダギリ・ジョーの出番はホント最初だけです)から始まって、世の不条理・理不尽をひたすらにつきつける。無罪放免の上級国民。苦しみ続ける庶民。曖昧なことを拒絶するかのようにあえて表示される田中良子(尾野真千子さん)の花屋や性風俗サービスでの時給等の収入額、一方で家賃や食費、さらには介護費用など家計の支出など残酷なまでの赤字家計を記録している状態。

 あげく、税金で生活しているという謎理由で息子・純平(和田庵くん)は全国でもトップクラスの学業成績にも関わらず、いじめに遭う。理不尽の雨がずっと降っている。なんて日だ!が悪い方向でずっとずっと続いている。

 コロナ禍における飲食業の不況、性産業サービスへの強い風当たり、事なかれ主義の蔓延。もともとある弱肉強食資本主義社会をさらに炙り出したてはいるが、そういった目に遭う田中良子はなぜか怒りで解決しない。それは事故死した夫からの影響なのか、演技なのか。

 というわけで、戦術尾野真千子による全力尾野真千子であり、圧倒的尾野真千子であり、尾野真千子劇場。彼女が噴出する情念や衝動があまりにも凄まじくて、細かい内容云々をねじ伏せるエネルギーをとにかく感じます。完璧に演技に見える部分もあれば、意図を考えてしまう奇異な言動をとる部分もあり。でも、一貫しているのは息子への接し方、ケイちゃん(片山友希さん)への想い。

 感染症による恐怖よりも怖いのは人間である。同調圧力、弱者への差別と搾取。出てくる男性陣がものの見事にヤバいヤツらしかいないし(猿楽町で会いましょうもそうだったけど)、芹澤さんが演じた元バンドマンのおっさんの善意に見せかけたあの手口は卑劣だなという印象しかない。

 弱者の生活を浮き彫りにしていくけど、それでも社会に耐えて生きるを続けなければならない。もちろん本作を観てパワーや希望をもらえる人も多いでしょう。でも、生きる覚悟とか意味とか、そんな定義できないものを説いているわけではないと思いました。僕としては、無償の愛と親子の形。最終的にはその温かさが染みる作品でした。「まぁ、がんばりましょう」の合言葉と共に。ただ、なぜ肝である茜色の空の下で自転車漕ぐシーンの合成感の強さが、際立ってたのは気になったところではあります。

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