不老不死は生きるを永遠にするのか 『Arc アーク』鑑賞

SF作家ケン・リュウの短編集「もののあはれ」所収の「円弧(アーク)」を実写映画化。『愚行録』『蜜蜂と遠雷』などの石川慶が監督を務め、『愛がなんだ』『影裏』などの澤井香織と共に脚本を手掛けた。近未来、放浪生活を送っていたリナ(芳根京子)は人生の師となるエマ(寺島しのぶ)と出会い、遺体を生前の姿のまま保存できるように施術(プラスティネーション)する「ボディワークス」という仕事に就く。一方、エマの弟で科学者の天音(岡田将生)は、この技術を発展させた不老不死の研究に打ち込んでいた。30歳になったリナは不老不死の処置を受け、人類で初めて永遠の命を得る。やがて、永遠の生が普通となった世界は人類を二分し、混乱と変化をもたらしていく。

※ネタバレを少し含む内容なので、読む際はお気をつけください。

 冒頭からリメイク版サスペリアの舞踏シーンを思わせ、驚きを与えられます。しかし、SF映画ではあるものの、バイブリッドな産業機器が立ち並ぶ近未来は描かれていないです。意図的にパソコンやスマホなどのガジェットは登場しません。建物、車といったものは、現代から進化していない形で登場してます。よく見る記者会見やニュースの報道形式もそのまま。

 これまでの地続きの中で、石川監督は生と死、個と時間というテーマに向き合って制作されています。わたしは石川慶監督の作品は『愚行録』、『蜜蜂と遠雷』共に劇場で鑑賞しております。

 劇中で2102年没という表記がありましたが、これが何年代の話かというのも正確には出てこない。また場所も日本という特定はできても、かなり曖昧な形で抽出されています。撮影場所自体は香川県や淡路島等で行われたとのことですが、変わらないものと暮らしがあり、その中で人々は生きている

 前半は、プラスティネーションという技術を用いて模型のように遺体を永久保存できるようになった世界がある。後半ではその技術を応用して肉体の不老不死が当たり前になった世界がある。芳根京子さんが演じた主人公・リナは19歳、30歳、89歳以降という3つのパートに分類され、19歳と30歳のパートが前半、89歳以降が後半を占める。

 なんにせよ、問いかけられているのは「死との向き合い方」ということでしょうか。多くの人は、不老不死の手術を受けて死を意識の片隅に追いやる(とはいえ、作中では不老化を得ても事故死や病気による死はあるとのことで、遺伝子上の問題が起きることもある)。若い身体を永久に保ったまま、日々を送り続けています。

 一方で受けられなかった人もいる。なぜ手術を受けなかったのですか?という問いを受けた人の中に、250年ローンで不老化出術費用を捻出できないと答えていたので、当然のように分断の社会は続いていることを示唆していた。ラジオという媒体を通して”出生率が0.2%、自殺率がいくつかは忘れましたがべらぼうに高い”というニュースが聞こえてきました。しかし、リナが計算上84歳で子どものハルを産んでいるので(合ってると思うけど)、高齢出産はクリアできる社会にもなっている。

 若さを保った体のまま永遠の時間を手に入れるということ。果たして、時間から逃れることができるようになったと解釈できるのか。不老不死を得たことで活き活きと長い年月を生き続ける、そんな登場人物はいなかったのでなかなか判断が難しい。生きるということへの意識が薄らいでしまうのではないかという思いはあります。

 リナの89歳以降のパートは、不老不死を選ばなかった/選べなかった人たちが施設に入っているが、この人たちはリナよりも年下だけど、見た目は老いているという状態。歪にみえるその光景も50年、100年したらありうることなのかもしれない。

 人をモノに変質させるプラスティネーションを具現化して見せたことの凄さ、19歳から100歳近くまでを演じ分ける芳根京子さんの見事さ。その上で静謐だけども深く死生観を問い続ける。パンフレットで石川監督は、「円と違って始まりと終わりがあるのが円弧」と仰っていますが、人生はそれがあってこそなのかもしれません。

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