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『ボクたちはみんな大人になれなかった』映画感想

達観した彼女の今日も、まだアップダウンを繰り返しているボクの今日も、先に続いているのは未来であって、過去じゃない。どんなに無様でも「大人の階段」は上にしか登れない。

小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』より

 鑑賞したのは、伏見ミリオン座にて。ですが、あまりにも良すぎたので今までは入ってなかったNetflixに加入して再び観ているという。自分にとってはとても良い映画でした。

 燃え殻さんが2017年に刊行した小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』の映画化。わたしは文庫化された直後に1度読み、本映画公開前に振り返りでもう一度読む。そして、鑑賞後にさらに読み直して物語に浸りました。わたしは小説も映画も両方とも気に入ってます。燃え殻さんのサイン本を所持しているというバイアスはありますが(笑)。

 以下、本作について書いていきます。ネタバレを含みますので、未鑑賞の方は注意してお読みください。

目次

ストーリー、原作との違い

 主なストーリーは、TVのテロップや再現VTRをつくる会社で長らく働き続ける佐藤(森山未來)、彼の1995年(21歳)~2020年(46歳)までの変遷を追ったもの。彼がどんな人と関わって、どう生きてきたのか。

 エクレア工場からTV業界の片隅へと職を移し、主に登場する3名の女性との恋。特に最初の恋人であるかおり(伊藤沙莉)はずっと心に残り続けていて、原作には”自分よりも好きになってしまった”と書かれているほど特別な存在です。2015年にFacebookで彼女が知り合いかも?に出てきたのが、懐古の物語のスタート地点。

 原作のエピソードを基本的になぞるものですが、時系列の描き方が大きく異なっています。小説は最も過去の1995年から刊行年となる2017年へと向かう形。映画は真逆。2015年から数年おきに過去へ過去へと遡っていき、1995年まで戻る。その記憶が一番傷が深いものであり、一番美しいものと示唆するように。ただ、ここで終わらずに原作には無かった2020年が追加されています。

 細かく言えば、かおりとの別れ、スー(SUMIRE)との出会いと別れ、関口(東出昌大)の退職などが原作の時系列と異なっている。特にスーはかおりと失恋した後の相手として登場しましたが、小説よりも特別な存在感を放つ。映画版のオリジナルキャラクターがいて、大島優子さん演じる石田恵。30代後半~40代の佐藤の恋人役。でも、キラキラした場面はワンシーンしかなくてギスギスした場面ばかり(汗)。

 95年からのコミュニケーションツールの変遷(文通、公衆電話、ポケベル、携帯電話、スマホ、ZOOM)。街並みの変化。関わる人の変化。特別だったあの頃の喪失。世の中に染まっていってしまったと思わせる生き方。佐藤というひとりの男の半生を通して、自分の人生を不思議と重ねてしまう。そんな作品です。

感想

 何が凄いと言えば、森山未來さんによる21~46歳までの演じ分けです。違和感がない。

 21歳の佐藤は猫背でまるでシューゲイザー・バンドと思わせるほどに足元、爪先を見ている。自信の無さとたどたどしさ、人見知り。髪型と肌質もそれっぽい若さがあります。30代となる2008年~2011年はひたすらに続くブラックな環境での労働と展望の無い未来がもたらすやさぐれ感が、伸ばしっぱのロン毛と髭に表れる。40代となる2015年~2020年の彼は社会という不条理にもまれ続けた先の業界人っぽさがあり、出来上がった感が伺えました。

 そんな佐藤(森山未來)の思い出や痛みを掘り起こしながら、鑑賞者自身も掘り起こされていく。全然同じ人生ではないけれども、自分の古びた記憶が映画のストーリーと並走する感覚があります。東京在住で無いし(ロケ地である渋谷は、ライヴで何度も行ってますけど)、ヴィジュアル系の洗礼を受けた人間なので小沢健二はほとんど聞いてないし、ビューティフルドリーマーは観たことないにも関わらずです。

 わたしは1985年生まれで今は30代中盤。大人として90年代末期を過ごしてはいません。”1999年に地球が滅亡する”というノストラダムスの大予言の時は、中学2年生。「14歳で死ぬんだな、短い人生だった」と半分ぐらい思ってるところがありました。本作を観ていると、世代が近い人ほどノスタルジーの海に沈んでいく感覚は強いです。

 普通の大人になりたくないけど、結局は社会に合理化して生きている人がほとんど。”普通”に回収されていくというか、収束していくというか。何者かになることが大人になることなのか。なれなかったことを受け入れていくのが大人になったことなのか。

 作品の冒頭、片山萌美さん演じる売れないグラビアイドルが「子どもの頃、今の自分になりたいと思ってた?」と佐藤に問いかける場面があります。見ていても大多数の人が痛いところを突かれたなという感じがして、グサグサと刺さる。

思い出す小説

 こういう作品を観る&読むと思い出すのが、大崎善生さんの小説『パイロットフィッシュ』です。わたしが20、21歳ぐらいの時に初めて自発的に読んだ小説であって、読書するきっかけになった一冊であり、源流となっているところがある。

 端的にストーリーを言えば、40代になった僕が20年ぐらい前に分かれた初彼女と再会する話。『ボクたちは~』は再会はしないけど、最初の相手との特別な時間を描いている点は似ている。『パイロットフィッシュ』で書かれているのは、一度出会った人と二度と別れることはできないということ。主人公は彼女が嫌がるからとガムを人前で噛まないのだが、その習慣は別れた後もずっと続けている。お互いが与えた影響はずっとずっと残り続ける、それが人と人が出会うことだと語る。

君がたとえ僕の前からいなくなったとしても、二人で過ごしていた日々の記憶は残る。その記憶がある限り、僕はその記憶の君から影響を与えられ続けることになる。もちろん君だけじゃなくて、これまでに出会ってきた多くの人たちから影響を受け続け、そんな人たちと過ごした時間の記憶の集合体のようになって今の僕があるのかもしれない。

大崎善生『パイロットフィッシュ』 P229より

 『ボクたちは~』もラスト付近で新宿?辺りを疾走するシーンがそれを強く感じさせます。走馬灯のように出会った人、思い出がよみがえっていくのですが、すごくノスタルジックに響いてくる。記憶の集合体として今の自分があることを。映画の予告では”人生賛歌”という言葉を謳ってましたが、その側面の方が本作は強い。

 原作小説にもこう記されています。人が人から影響を受けることの醍醐味を教えてくれる作品でもある。

彼女から教わった音楽を今でも聴いている。彼女から勧められた作家の新刊は、今でも必ず読んでいる

小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』より

原作にはなかった今

 前述したように映画には原作には無かった完全オリジナルの”2020年”が追加。コロナ禍の今が描かれています。マスク姿、飲食店の時短営業、人が見当たらない真夜中の新宿の風景など。そんな中で佐藤は旧友である七瀬と偶然に再会しますが、放たれた「人の不幸で笑えなくなったな」がやたらと心に響く。

 小説を読んで気づかなかったけど、映画を観て気づいたのは、作中の佐藤が自発的にした大きな決断って2回しかない。かおりと文通しようと手紙を送ったこと。TV制作会社で働くこと。

 以降は、なんとなくの流れでそう生きてるように見えてしまった。”キてるね”と言われない人生。関口に「やりたいことをやれよ」と言われてからもTV業界の片隅に居続けている。それはかおりがかけた”フツーじゃん”と”君は大丈夫だよ、おもしろいもん”の呪縛によるものなのかもしれませんが。

 バカにしてたはずの普通の大人。でも、未だにわからない普通、大人。あの時の特別をずっと輝かせながら、成仏できずに彷徨い生きる佐藤ですが、それでもなお”生きてきたんだ”という肯定が彼自身に見られる。それこそが2020年を追加した意味なのかなと。

 今よりも過去を美化したがる人間、男性の方が本作は刺さるのかなと思ったり。わたしはあてはまる人間ですから。

「男は過去の自分に用がある。女は未来の自分に忙しい」そんな主語のばかデカいつぶやきをツイッターに書き込みたくなっていた

小説『ボクたちは大人になれなかった』より

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