1994年に結成されたアイスランドのポストロック系バンド。Sigurros(勝利のバラを意味)は中心人物であるヨンシーの妹の名前にちなんでいる。中世的なファルセットやオーケストラルな厚みのある音を中心としたサウンドは、美しく壮大さを伴い、聴く者を神秘的な体験へと誘います。
そのバンドの特性を確立させた2ndアルバム『Ágætis byrjun』で世界的な成功を収め、続く『()』や『Tak…』といった作品で幻想的なサウンドを奏で、さらに人気を拡大。
ここ日本でも来日公演を多数経験。フジロック 2016年のヘッドライナーを始め、その美しいステージは聴く者を魅了する。2023年には10年ぶりとなるフルアルバム『Atta』をリリースしました。
本記事はこれまでに発表されているフルアルバム全8作品について書いています。
アルバム紹介
Von(1997)
1stアルバム。全12曲約72分収録。タイトルはアイスランド語で”希望”を意味します。アートワークはヨンシーの妹が赤ちゃんの時の写真を使用。
希望という言葉を作品に託しているのに茫洋としています。質感はとてもダークかつ不気味。そしてアンビエントとエレクトロニクスが抽象的な空間を汲み上げる。バンド名を宿しているのに実像が見えない#1「Sigur Rós」が出足から本作を決定づける雰囲気をもたらします。薄靄、悲鳴、鈴、リズムレス、宗教感・・・etc。
続く#2「Dögun」は神々しさを得るも後半は不気味に終わっていく。あえて心の不安定さを表現したような楽曲が多く、だからこそアンビエントで抽象的な音像に落ち着いているのかもしれません。それに楽曲自体も長尺なものが多く、最長で12分にも及びます。
しかしながらメタル的な質感を持つ#3「Hún Jörð …」、slowdiveが降臨したかのような#5「Myrkur」、柔らかなアコースティックとヨンシーのファルセットが噛み合う#9「Von」とムードを変える曲も存在する。
発売から1年間は500枚も売れなかったそうですが、1stアルバムにして1番の難敵ですからわからなくもない。
Ágætis byrjun(1999)
2ndアルバム。全10曲約71分収録。タイトルは訳すと”良き船出”。キーボーディストにキャータン・スヴェインソンが加入し、プロデュースにケン・トーマスを起用。
シガー・ロスが世界的なアーティストへ駆け上がる足掛かりとなった作品です。不気味でアンビエント色の強かったデビュー作から一転。視界も心もパッと開けていくような柔らかで重層的なサウンドを展開しています。
中性的で優しい歌声、アイスランド語をベースにした詞、たおやかに浮遊するメロディ、ボーイング奏法と残響するノイズ、美麗さをもたらすピアノやストリングス。シガー・ロスのシグネチャームーブが開発されており、”世界一美しい”と評される音楽がここに生まれています。
#2「Svefn-g-englar」、#3「Starálfur”」、#8「Olsen Olsen」といった代表曲で顕著ですが、オーケストラのごときうねりは光をまといながら聴き手を包み込む。この唯一無二のスタイルは、その後のシーンにも多大な影響を与えました。
なお本作は母国アイスランドのチャートにて初めて1位に輝きます。さらにはPitchforkが選ぶ”2000年代ベスト200アルバム”の第8位、Rolling Stone誌が選ぶ”2000年代のベスト・アルバム”の29位にも選出されています。
() (2002)
3rdアルバム。全8曲約71分収録。ドラムがオーリー・ディラソンに交代。プロデュースは引き続き、ケン・トーマス。
()が示すように本作はタイトルがなく、解釈はリスナーに委ねられます。また曲名も無題ですが、それぞれに副題がつけられており、温かみのある前半4曲と険しくも壮大な後半4曲にグループ分け。
前作で確立したサウンドスケープは隅々まで浄化された美しさを誇りますが、どこか空虚で重みを含んでいるのが特徴です。
そしてヨンシーの独自開発言語であるホープランディック(Hopelandic)で歌われていることも挙げられます。この言語には意味や文法はなく、響きを伝えているといったニュアンスが正しいか。だからヨンシーの歌声はより楽器的。
前述したように前半の楽曲は郷愁の想いを呼び覚まします。エレガントなピアノの音色をアクセントに進んでいく#1「Untitled (Vaka)」と#3「Untitled (“Samskeyti”) 」は人生の輝きを増すように響き渡る。
一方で後半の楽曲はGY!BEのような”終わり”が忍び寄ってくるもので、隣り合わせの絶望が陰影として刻まれています。ラストの#8「Untitled (“Popplagið”)」のGY!BEを思わせる荘厳さと轟音は圧巻であり、2022年8月の来日公演でも最後に演奏されてその破壊力を思い知りました。
Takk…(2005)
4thアルバム。全11曲約67分収録。タイトルは訳すと”ありがとう”。[ありがとう。いい薬です]というキャッチフレーズにあやかれば、『Takk…』は人生の処方箋になりうる作品です。
前作に少なからずあった空虚なトーンを光の帯で埋め、さらには聴き手との距離感がグッと縮まるようなポップさが本作には存在します。
歓喜の雄叫びような轟音に包まれる#2「Glósóli」から優しいピアノの旋律が導く#3「Hoppípolla」の美しい時間は、シガー・ロスが唯一無二といわれる所以。序盤の曲を聴いていても、音の人懐っこさであったり柔和さが増していて心地よいものです。
リスナー側に寄り添ってくれているように感じるので、以前のような孤高という印象は薄い。ホーンやオルゴールの音色はより煌びやかに。そしてアイスランド語で再び歌うヨンシーは歌ものとしての訴求力を増している。
10分を超える#7「Mílanó」にしても、祝福のそよ風がずっと頬をなでているような優しい昂揚感がもたらされます。全編を通した穏やかな幸福の凱歌としての『Takk…』であり、入門作としてオススメしたい作品。
Með suð í eyrum við spilum endalaust(2008)
5thアルバム。全11曲約55分収録。アートワークはアメリカの新進気鋭の写真家、ライアン・マッギンレーによるもの。国内盤は”残響”という邦題がつけられてリリースされました。プロデュースは新たにFloodが務め、初めてアイスランド国外で録音。
オープニングからこれまでとは明らかに違う開放感が漂います。外界に向かって弾けていくような力強さと無邪気さ。音が無限の広がりをみせ、自由に大地を闊歩するような感覚があります。
甘美なメロディやホーンセクションの装飾によって煌びやかに色づいていく世界。これまでのシガー・ロス像とかけ離れた印象すら受ける前半は、例えるなら神様がほんの一瞬だけ見せた気まぐれのようにメルヘンチックです。
その無垢な歓喜と躍動が最高潮に達する9分の大作#5「Festival」は筆舌しがたい感動に包まれる。さらには9分をかけて芸術的な浄化作戦を繰り広げる#7「Ára bátur」が再びのピークをもってきます。
以降の楽曲はしっとりと控えめに彩られており、その陰と陽のバランスも魅力のひとつ。本作は新たな試みとしてアコースティックの強調や英詞でつづられた#11「All Alright」を収録しており、まさしく新境地を切り拓いた作品に仕上がっています。
Valtari(2012)
6thアルバム。全8曲約54分収録。バンド曰く”スローモーションな雪崩”と表現する本作。
前作ではシガー・ロスらしからぬ煌びやかさと華やかさ、そして躍動感がこれまでになかったポジティヴな世界へ誘いました。ヨンシーの初ソロ作『GO』にもそれは引き継がれており、虹色のポップさが聴き手に新しい歓びをもたらしています。
その揺り戻しか、本作は幻想的で神秘的な音像に回帰。音と感情の”揺らぎ”を掬い取ることを課すような作品であり、あえて継ぎ接ぎのエディット感をさらすことで解像度を落としているようにも感じられます。
以前よりもエレクトロニックなものが含まれるとメンバーは語るものの、ヨンシーのファルセットボイスや小楽団のオーケストラのような佇まいは変わらずに有効に機能。
美しくもどこか淡々とつづられる#2「Ekki múkk」、力強く大地を蹴りあげるリズムに巻き上げられて壮大な音の連続へと集束していく#3「Varuo」といった曲に魅了されます。
息を呑むような美しさに彩られたアンビエント調のアルバム後半もさすがで、シガー・ロスとしての矜持を示しながら全体を上手くまとめた作品になっています。
Kveikur(2013)
7thアルバム。全9曲約48分収録。前作より約11カ月という短いスパンでのリリース。キャータン・スヴェインソン(Key)が脱退し、トリオ編成で制作された作品となります。そして初のセルフプロデュース作。
透明感が売りの女優を本物の透明感で吹き飛ばし続けるシガー・ロスが、なんとドゥームゲイザー的な境地に立ち入る。まさか”ずっしり”という表現をシガー・ロスを形容する際に使うとは思っていませんでした。でもそれが現実にあるのが本作です。
初っ端を飾る#1「Brennisteinn」からドゥーミーなリフやインダストリアルなリズムを轟かせる中で、堂々としたサウンドになっている。ダークでムードがあり、そしていつになくロックバンドとしてのシガー・ロスを感じます。
”いつもよりヘヴィーに聴こえるのは、キャータンが抜けたぶん、ドラムスとベースがアルバムを引っ張っていくようなサウンドにしたからかもしれない“と本作について語るのヨンシー(bounceインタビューより)。
それでも悪に仕えるのではなく、天への許しを請うように感じられるのはシガーロスが培ってきた雰囲気ゆえか。暗鬱なうねりの中に今までにない衝撃があり、アグレッシヴなシガー・ロスを心ゆくまで堪能してほしい。
ÁTTA (2023)
8thアルバム。全10曲約56分収録。前作からの間で女性から告発されたオーリー・ディラソン(Dr)が2018年に脱退、キャータン・スヴェインソン(Key)が復帰。10年ぶりの帰還作は、静けさと節度を持って物語をつむぎます。
コンセプトについて”ドラムを最小限にし、音楽を本当にまばらで浮遊感のある美しいものにすること“とヨンシーは述べる。ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラが全面参加しており、慎ましさの方が主体となった音像へと仕上がっています。
アンビエント~ポストクラシカルという表現が近く、ヨンシーのファルセットも楽器陣も音響に溶け込んでいくよう。ビートレスの曲がほとんどを占めていることもそれに影響している。
なかにはゴージャスで厚みのある#4「Klettur」や#6「Andra」のようにコマーシャルな曲は存在します。ですが清冽な音がゆっくりと重なり、ひとつの雑菌すらも許さない神聖な空間が広がる曲の方が多数。
聴いていると無に近づいていってるようにも思えてくる。細部が全体であり、全体が細部であるかのように『Atta』は存在しています。