自分は孤独な人間だと自覚しているだけに、昔から”孤独”という言葉の入った書籍、曲には惹かれることが不思議と多いです。大崎善生さんの短編小説『孤独か、それに等しいもの』。森博嗣先生の新書『孤独の価値』。曲に移ってtoe「孤独の発明」。そしてDIR EN GREY「孤独に死す、故に孤独」。そのDIRの曲では、”違うと願うのは後ろ向きの唯一の救いであり…“という歌詩がありますが、それはわたしの中で他者との違いを自覚する上での言葉として今でも刻まれています。
さらにタイトルに孤独はつきませんが、わたしがこれまでに読んだ中では一番に孤独を感じる小説、フリオ・リャマサーレス氏『黄色い雨』。舞台は自分以外、誰もいない朽ち果てた限界集落の村。その圧倒的な孤独の中で生きることを美しく誌的に表現した作品で、ひとりで生き続けること、ひとりで死んでいくことの真髄みたいなものが知れる作品です。
内容紹介
戸田真琴さんの処女エッセイ「あなたの孤独は美しい」。本著もまたその”孤独枠”に大切に入れておきたい一冊です。まずは圧倒的に惹かれるタイトル。これが手に取った理由でもあります。内容は、戸田真琴未満から戸田真琴になって現在に至るまでの歴史を通して感じた/考えた、彼女による孤独の哲学であり、孤独賛歌です。書かれた当時・23歳にしてこの達観もさることながら、他者や世間に対する違和を言葉に落とし込み、表現する。自分をできる限り開示して放たれる言葉たちは、寄り添いながら心に響きます。素直に凄い。
自分軸の確立と優しさ
「ぼっち全肯定」と帯にはありますが、戸田さんの言葉はどちらかといえば、「自分は自分、他人は他人」という考え方に近いと感じます。その時々で変わる自分と他者/社会に関わる最適解を見つけつつも、自身を見失わずに生きることの重要性。周りに決して振り回されない自分軸の確立と肯定。はびこる共感主義と重度のSNS中毒社会の中にいてもです。
そんな自分の考えを貫く中で、彼女の言葉には優しさが通底しています。これは持論ですが、優しさというものには実体はなく、その正体は実際のところ「想像力」だと思っています(p114) 。この考えがあるからこそ、ドライになりやすい孤独賛歌も本著では、読み手それぞれの立場に立って労わりのある形で他者に伝わるようになっている気がします。彼女の考える優しさ論、愛のカタチもストンと入ってくる。
彼女自身がこういった思考に至った点は、家族の影響が大きいようです。具体的には、新興宗教にはまってしまった母、いじめにあっていた姉からの呪い。戸田真琴未満を綴った第1章で詳しく記載されています。常に自覚している「何かが劣っている側なんだ」という認識、様々な重たい足枷からの解放と正しい生き方の模索が戸田真琴になることへ繋がっていくようです。何よりも若い時からひとりで思索にふけって生きてきた人間である、というのが十二分に伝わります。
孤独は悪なのか
そもそも孤独は、悪なのでしょうか。わたし自身も考えてみてもよくわからない。孤独死という最凶ネガティヴワードに紐づけられているせいで、「孤独 = 悪」みたいな絶対的な方程式ができている気がするのが正直なところ。あとは、先にも挙げた森博嗣先生の『孤独の価値』にて書かれていたことですが、現在の大量消費社会においてひとりだとモノが売れないから、家族を当たり前にすることで企業にとっての消費を助ける点ということがあると思います。その洗脳は間違いなくあるだろうし、他者とのつながりをやたらと強調した現代は、絆肥満となっているのじゃなかろうかと。
わたし自身は30代中盤の孤独人間です。友達はほぼいないし、恋人もいない、単身世帯。でも、ひとりの時間が自分にとっては最も大切であることを自覚しているからこそ、こういう結果になっています。弊サイト自体が孤独の歴史みたいなものでできている部分がありますし(笑)。
普通に対する違和感
村田沙耶香さんの名著『コンビニ人間』にもありますが、”普通”に対する揺らぎと世から受ける尋常ではない”普通圧力”は、避けられない命題みたいなものだと思います。普通の生き方という呪い。でも、生き方を決めるのは自分でしかないわけで。もちろん、他者/社会と関わることは必然です。それでも、重要視したい自分空間、ひとりの時間。どこまでもつきまとう孤独の中で、生き方を考える。考え続ける。「自分とはどういう生き物なのかを考え続けることが、命を本当の意味で充実させるのだと思いますP167)」 そのお供にこの本は最高の処方箋のひとつです。