ようやくの初downyです。2004年の解散後にその存在を知った身ですが、彼等がいかに大きな存在であったかを、遅まきながら実感することができました。あの絶妙なアンサンブルから生み出されるグルーヴ感に揺さぶられ、ひんやりと冷たい妖刀で斬られるような感覚が追い打ちをかける。その緊迫感のなかで、しんみりとした哀愁を漂わせるメロディや青木ロビンの歌声が色を灯す。バックに映し出されるVJもまた鮮やかに視覚に刺激を与えていく。この5人で紡ぎだすdownyという世界、巻き込まれるのに時間はかかりませんでした。
序盤では「酩酊フリーク」が幻惑する不穏なリフ、変幻自在のリズムで煽る。そして、リズム隊が叩き出す強烈な推進力と艶やかなキーボードが印象的な「春と修羅」が鮮やかなVJと共に景色を次々と塗り替えます。もともと演奏に定評があるとはいえ、情熱を音符に重ねながら的確に再現していくその様には驚かされる。
当然、彼等の活動休止前のパフォーマンスについてはわかりませんが、今こうして体感してみても先駆者としての格の違いというのを感じます。空間も時間も掌握するそのパフォーマンスに終始釘付け。「左の種」や「或る夜」といった変則的でありながらもエモーショナルな衝動を持つ曲には痺れたし、終盤に披露したスリリングな「曦ヲ見ヨ!」のドラム捌きには口あんぐり。楽曲ひとつに込められた情報量が違いすぎて、置き去りにされることも多々ありますが、脳も体も鋭い刺激に見舞われる。
それ故に嵐のように時間は過ぎます。いつの間にかラスト曲。演奏前にロビンさんがようやく語りだします。「名古屋、久しぶり。10年数年ぶり? じゃあ、また10年後に会いましょう」という冗談交じりの言葉を残して、ちょっとの笑いを誘う。そして、最後に放ったのはファンの中ではお馴染みの「猿の手柄」。美しい衝撃が会場を一閃し、圧倒的なギターノイズが鳴り響く中で鮮やかに彼等は去っていった・・・。
ここで終了になると思ったところで、まさかのアンコール。「初めてだよ」なんて言葉も出ましたが、彼等はアンコールをやらないバンドとして知られていました。それがこんなに客が少ない本日の名古屋公演でアンコールが実現するとは、驚きました。多分、クララが立った時と同じぐらいの衝撃。「1人が3人ずつ連れてくれば名古屋でも何とかなるから、またすぐ来れるから」とのことだが、集客面でまさかdownyまでもが辺境地・NAGOYAに飲み込まれてしまうとは・・・。
そ れはさておいて大ラスに演奏されたのは、「安心」。音楽性自体が洗練されていった中、バンドの根幹にはハードコアがあるというのを印象づける初期の楽曲です。変則的で苛烈なサウンドは展開を追うごとに激しさと勢いを増し、ロビンさんの叫びが一層の熱気を放ったところで大団円。こうしてアンコールまで突入したdownyの10数年ぶりの名古屋公演は終了。まるで色褪せず、進化を続けるdownyという強烈な個に平伏した一夜となりました。