2024年よかった本まとめ

 わたしはX(ex-Twitter)で読んだ本のことをポストしたりしています。Xでの反応は薄いんですけど(汗)、前々からこれらをまとめた方が良くない?と感じていましたので、記事を立ち上げてみました。

 2024年正月に【2023年ベスト本10選】をアップしましたが、年1よりも通年で定期アップデートさせる記事の方が良いので、”2024年よかった本まとめ”として追加していこうと思ってる次第です。

 年間100冊以上の書籍を読むので全部が全部あげるわけじゃありません。しかしながら、おこがましく思いつつ良かった本はみなさんにも読んでいただきたいですね。それでは以下からどうぞ。

 ※追加したのが新→古の順に並べています。

タップできる目次

2024年よかった本まとめ①

千早耿一郎『悪文の構造』

 名文を目指すよりも悪文を書かないこと。1979年に初出版された本ですが、文章術の古典本として45年経った今も内容は有効。何がどこに係るかの主語・述語の関係、長文を書かないなど。それらの指摘を中心に100以上の実例をぶった切ったり、褒めたり。痛いところ突いてくる。効きますよこの本は。

 特に第19章:機能的なものは美しいはタメになる。”美や真理は、ただちに多くの人にとって理解されるとは限らない。だからといってその文章の構造までがあいまいであっていい、とはいうことはない“は大事にしたいところ。

われわれは、言葉という素材を使って文を紡ぎ、文章を織りあげる。その言葉は、原則として、すでに社会的に認められたもののなかから選びとる。だが、作者は、自分の意思により、また、その責任において、その言葉を選び、そして紡ぎ合わせる。なんでもない言葉を使いながら、なお文章に個性があるのは、その自由と責任とのゆえである。やさしい言葉を選び、単純な語法を使いながら、その作者でなければ書けない、個性ある文章を書くことはできる。

『悪文の構造』(p278~279)

山田圭一『フェイクニュースを哲学する』

本書では、他人の証言、うわさ、専門家、マスメディア、陰謀論を題材に、われわれの知識の生成・伝達・検証が社会の中でどのように行われ、それがインターネットの登場を通じてどのように変化したのを哲学的な観点から考察してみた。

フェイクニュースを哲学する』 p179より

 わたしは基本的に何事も疑ってかかる人間なのですが、本書を読んだことでより警戒心を強める結果に。情報にしろ、人にしろ、はたして正しいのか?は常に半信半疑で接している。

 本書で大事だという知的な勇気、知的な自律、知的に公平な心。情報過多な現代なだけに、立ち止まってしっかりと吟味することが改めて必要だなと思った次第です。帯にある”急ぎすぎない”を大事にしたい。

自分の手に入れた回答が「正しい」という思い込みをいったん取り去ることで、その回答の根拠は本当に妥当なのか、何か見落としている観点があったり、別の考え方ができたりするのではないかと吟味する余地が生じ、自分の考えをさらに先へと進めていくことができる

フェイクニュースを哲学する』 p184より

2024年よかった本まとめ②

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン」と「ヒン」がある。綿あめのようにひたすら潔白な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった

すべての、白いものたちの(p176 作者の言葉より)

 「白いもの」の目録を書きとめ紡がれた65の物語。しかし、物語というよりは散文詩といった趣です。音楽で例えるならアンビエントとポストクラシカルがない交ぜになったような。言葉がささやかに現れては、儚く消え、現れては消えが繰り返されている。

 本書は「1 私」「2 彼女」「3 すべての、白いものたちの」という三章構成。作品の根幹に生後2時間で亡くなった姉の存在があり、2章では作者である私の身体を通して姉が語る。この白いものたちを巡ることはなかなかにつかみどころがないのですが、平野啓一郎氏の解説が大きな助けになりました。

 訳者の斎藤真理子が巻末の補足で”本書は装置であり、回廊であり、読むというよりその中を歩く本であり、通過する本なのだと思う”と書かれていますが、確かにそんな感じ。

生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。

すべての、白いものたちの(p69より)

岸政彦・柴崎友香『大阪』

 こちらは単行本で読んでいますが、文庫化(加筆&解説が追加)されたので再読。

 大阪へ来た人(岸さん) と出た人(柴崎さん)による共著エッセイ。大阪の断片的な街、人々を描いているのに大阪の歴史を感じる。2人の文章を味わいつつ、自分が暮らしてきた街や人や風景を思い返す。大阪に縁がある人もそうでない人にもオススメです。

大阪とは、単なる地理的な位や境界線のことを指すのではなく、そこで生きている時間のことでもあるのだ。大阪という空間、大阪という時間。だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものでもある。ただ単に空間的に人びとが集まっているだけではなく、人びとの人生に流れる時間が、そこには集まっている。だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものである

『大阪』p10:岸政彦・著

「大阪」について、わたしはとても狭い範囲のことしか知らない。大阪も、他の場所も、知らないところ、想像し足りないところばかりだ。わたしは、風景を書いている。わたしは、風景は人の暮らしそのものだと思う(著)

『大阪』p46:柴崎友香・著

横尾忠則『言葉を離れる』

 ワールドワイドに活躍する美術家が80歳を超えてなお創作する心の軌跡を、想定外の半生を振り返り綴ったエッセイ集。講談社エッセイ賞受賞作。

 タイトルのわりに改行少なく言葉ぎっちりじゃねえかとツッコみたくなりますが、中身は氏の創作についての語りと半生を振り返るエッセイ集です。とはいえ、読んでて印象に残ったのは黒沢明監督が「主題は何ですか?」と訊かれると烈火のごとく怒ったというエピソード。わたしも過去に行ったインタビューで聞いてたので気を付けないといけない・・・。

 創作をする人、しない人にも人生訓として心にとどめておきたい言葉の数々。あとは三島由紀夫氏を始めとした偉人オールスターズとのやり取りも読んでいておもしろい。

役に立つことを一生懸命、これをやることで社会に還元するとかいうことは人生じゃなくて、実に役に立たないことを一生懸命やることが人生なのかなということです。役に立たないこと、真面目なのかお遊びなのかふざけているのかわからないことをやるということことが人生にとってすごく重要なんじゃないかなと言う気がするんですよね

言葉を離れる』p238より

松永K三蔵『バリ山行』

 バリ山行のバリとはバリエーションルートの略であり、通常の登山道ではない道をいくこと(p35)。”純文山岳小説”と銘打たれた本作は、家族持ちのサラリーマン労働生活と臨場感ある登山の描写が半々ずつぐらい。

 悪化していく会社の業績から家族を養っていけるかという先行き不安の危機、バリ山行に出向いたことで遭遇した一瞬で死と隣り合わせの危機。主人公・波多が直面するその事態を丁寧に描写しています。

 労働も山も明確な答えを決して教えてくれません。共に人生は道なき道だと伝えてるようでもある。だからこそ人は悩み葛藤し、思考し行動する。オススメ小説です。芥川賞受賞作のわりに読みやすいですし(純文学とはそういうものだと言われそうですが)

 ちなみに主人公をバリ山行に連れ出す会社の同僚・妻鹿(めが)さん。彼の登山アプリのアカウント名がMEGADETHなのは笑いました。

会社がどうなるとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出してるもんだよ。それが増殖して伝染するんだよ。でもそれは予測だし、イメージって言うか、不安感の、感でさ、それは本物じゃないんだよ。まぼろしだよ。だからやるしかないんだよ、実際には。

バリ山行』p115より

近藤康太郎『アロハで田植え、はじめました』

 プロのライターであり続けるため、都会生まれの朝日新聞記者が地方転勤を直訴し、長崎で”オルタナ農夫”として生き始める。しかし、プロの農夫として生きるわけではありません。むしろ農夫のプロになっちゃいけない。プロはライターだけ。そのために早朝の1日1時間を主食である米を作るために田んぼに立つ。

 本著は米作りの奮闘記であり、資本主義や会社への反抗記でもあり、生き様の表明でもある。『三行で撃つ』『百冊で耕す』の著者らしく、文章は切れ味とユーモアと反抗にあふれている。決して自分の生き方は曲げない信念の強さ、やりたいことをやり続ける覚悟。FIREではないこういう”オルタナティヴ・ライフ”もある。

革命もユートピアも犬に食わせろ。わたしがやってることは、ただ「資本主義という怪物に、力なくからめとられるだけが、人生なのではないんじゃないか?」という仮説を、人体実験で確かめようとしているだけなんだ。

『アロハで田植え、はじめました』p98より

オルタナ農夫で重要なのは、プロになることではない。ミュージシャンなり画家なり作家なり、社会運動家だっていいんだが、そしてわたしの場合はライターなんだが、「これをできないなら死んでしまう」という強い願望があるなら、実存の契機がそこにあるならば、一生しがみつく。可能性にかけて跳躍する。そのチャンスを与えてくれるのが農業なんじゃないか。と、そう言っているだけなのだ。

『アロハで田植え、はじめました』p207より
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