2025年読んだ本一覧②
小貫信昭『いわゆる「サザン」について』

ベスト盤しか聴いたことない人間が読みましたが、45年以上続くサザンオールスターズのアルバムごとの背景や制作過程、ルーツ等が端的にまとめられていて読み応えありました。初期って本当に異様なハイペースで作品を制作していたんだなあと驚きますし、アルバムそれぞれに対してのコンセプトもしっかりあり、バンドとしてオリジナルアルバムを大切にしている姿勢がはっきりわかります。
桑田さんのインタビューで補完もされていますし、ファンじゃない自分みたいな人間が読んでもおもしろかった。桑田さんの人間味、そういったのが伝わってくるのも良い。
ところで、音楽の神様などというのは、本当に存在するのだろうか。「ただ待っているだけで、降りてくる”ことなどない」。桑田ははっきりそう言った。そもそも作品づくりというのは、いつも上手くいくわけじゃない。ただ、作りかけて何とかなりそうだと直感したら、「諦めないこと」が肝心なのだという。「たとえば出だしの4小節が出来て、すごくいいな、という場合、これは絶対、気に入るものになると信じて、諦めないこと」。諦めず、なんとかしようと自分を追い込む。すると、時には「音楽の神様のおかげとしか言い様がない状況にも出くわす」そうだ。しかしその神様にしても、自分が常に謙虚で居てこそ、出会えるという。
『いわゆる「サザン」について』p114より

トルストイ『イワン・イリッチの死』

一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ,死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く.題材には何の変哲もないが,トルストイの透徹した観察と生きて鼓動するような感覚描写は,非凡な英雄偉人の生涯にもまして,この一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている
読みましたが、今の自分には理解できる能力がなかったです。106ページと短いのに。

高橋ユキ『つけびの村』

山口県の連続殺人放火事件を取材したノンフィクション。事件当時2013年で8世帯14人が暮らす限界集落に起こった悲劇の引き金は本当に”うわさ”だったのかに焦点をあてての丹念な取材。”うわさ話は我々にとって甘美な娯楽だ(P294)”ともありますが、人間は怖いとつくづく思う。読んだ文庫版には事件から10年という節目に、新章となる「村のその後」を書き下ろし加筆。
うわさ話は我々にとって甘美な娯楽だ。眉をひそめながら小声で話していても、その心は躍り、どこか興奮している。うわさ話を重ねながら、人は秘密を共有した気になり、結束を固め、ときに優越感に浸る
『つけびの村』p294より

スティーヴン・キング『トム・ゴードンに恋した少女』

家族とのハイキング中にコースを外れて迷子になった9歳少女のサバイバル譚。広大な森の中をあてもなくさまよい歩く姿にずっとハラハラする。虫に刺されまくり、泥だらけになり、月光すらもそっぽを向く。読んでると”頑張れ負けんな力の限り生きてやれ”と小須田部長の言葉をかけたくなりますが、現実に襲い掛かる事象は少女でも大人でも厳しいもの。
そんな絶望の中で唯一の光となるラジオの野球中継。トム・ゴードンは実在のメジャー・リーガーでボストン・レッド・ソックスのクローザー。”それにしても、「少女が森でサバイバルする」だけの物語がどうしてこれほど面白いのだろう“と訳者の池田真紀子氏があとがきに書いていますが、これは確かです。
人生は悲しいものなのかもしれない。そう、人生なんてたいがい悲しいものなのだ。世の中の人たちは、そうではないふりをして生き、子供が怯えたり希望を失ったりしないよう嘘をつく。しかし現実には、そう、人生は悲しいものだったりする(p193)
『トム・ゴードンに恋した少女』p193より。

奥窪優木『転売ヤー 闇の経済学』

ポケモンカードに始まってPS5、ディズニーグッズ、高級酒などの転売スキームがまとめられている新書。2年間をかけて取材・執筆され、実際の手口を知るために著者も現場に同行している。
ポケモンのレアカードを選別するためにこういう裏技使ってるとか、ディズニーグッズのためにテーマパーク内を何往復して1日14㎞超歩くとか。楽した転売もあるんでしょうけど、仕事は仕事なんだなというのは感じました。あと転売商品を知るためにSNS検索で「転売ヤー◯ね」を情報源にしていることは笑った。
本書の取材・執筆に費やした2年あまりの間、世間で話題となる転売品は刻々と変わっていった。しかし、一貫して変わらなかったのは、日本社会の転売ヤーに対する厳しい目だ。SNSには転売ヤーに対する怒りの声が常にひしめいている
『転売ヤー 闇の経済学』p189より

児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』

序盤にまずは”安楽死”とは何か。尊厳死、積極的安楽死、医療幇助自殺との違いを明記。そこからオランダやベルギー、カナダといった安楽死先進国の諸事情を汲み、それらの国で起こっている問題を鑑みた上で合法化について丁寧に考察されている。法制化された国では末期患者だけであった対象者が拡がっていく”すべり坂”に歯止めが効かなくなってきており、社会的弱者の切り捨てにならないかという危惧を示唆する(実例も紹介されている)
そういった中で著者は一貫して安楽死の合法化については反対である姿勢を明確にしています。自分の死期ぐらい自分でという考えもこの本を読むと大きく揺らぐ。命についてはきれいごとが通じない。75歳以上が自ら生死を選択できる制度が施行された近未来の日本を舞台にした日本映画『PLAN75』についての記述もある。ただ、私も本作を観ましたが、人口動態からしてこの未来は避けられない気はしている。
「死にたいほど苦しんでいる人を置き去りにしないために安楽死を合法化しよう」という人たちは、それらの「死にたいほど苦しい」人のうち、誰なら安楽死で死んでもいい、誰は死んではならないと、一体どこで線を引くというのだろう。その線引きはどのように正当化されるというのだろう。そして、忘れないでほしい。いったん引かれた線は動く。それは本書で見てきたとおりだ。
『安楽死が合法の国で起こっていること』p260より引用

ミシェル・ウエルベック『セロトニン』

巨大化企業モンサントを退社し、農業関係の仕事に携わる46歳のフロランは、恋人の日本人女性ユズの秘密をきっかけに“蒸発者”となる。ヒッチコックのヒロインのような女優クレール、図抜けて敏捷な知性の持ち主ケイト、パリ日本文化会館でアートの仕事をするユズ、褐色の目で優しくぼくを見つめたカミーユ…過去に愛した女性の記憶と呪詛を交えて描かれる、現代社会の矛盾と絶望

横川理彦『NEIRO よい「音色」とは何か』

最後に「よい音色とは何か?」という問いの答えを考えてみます。究極的にいうならば「よい音色のあり方は、状況による」ということになります。音が鳴っている環境があり、そこに存在する人間が音を聞いて、音色のよさを感じ取ります。音環境には、どうしてその音が鳴っているのかが、科学・歴史・文化的に条件づけられ、それを受け取る人間の側も生物的・文化的な存在です。
『NEIRO よい「音色」とは何か』p272より
音色についての序章文があり、”音は周波数の時間的変化である”で口火を切る第1章「音色の科学」へと進む。その後は楽器の音色、声の音色、アンサンブルの音色と章ごとに解説される。第1章は内容として興味深いものもありますが、第2章からは”ピアノ:〇年に生まれ、こういう音色でこういう使用方法で”みたいな説明文があり、さらにQRコード先の動画で補完する形が続く。
基本的に絵や図、楽譜がない。ほぼほぼ文章で構成され、あとはYouTubeでよろしく!のため、本←→動画の行ったり来たりをする必要がある。ゆえに読み手への負荷が大きい。しかし網羅性は高いため、資料としては十分。ただ帯文にある”なぜビリー・アイリッシュの声は心地よく聞こえるのか?”の解答はないので注意。

春日武彦『死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか』

正月から読むものではないと思いますが(1/3読了)、著者が触れてきた書物や映画、自身の体験等を交えて語られる死についての論考。<グロテスク><呪詛><根源的な不快感>の三要素が大きく絡んでいると著者は考えているそうですが、読むと死の捉え方はいろいろあると感じます。
結局、死を体験して帰ってきた人など存在しない。その事実に勝手に恐怖や美しさを投影している部分はあるんだろうなあと。
死は当人にとって生涯最大の事件である。人生は強制終了させられ、残された人たちは呆然とする。 死後にどうなるのかは、誰にも分からない。無とか空虚、永劫といったイメージが生々しく立ち上がり、わたしたちは困惑する
『死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか』p3より

ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』

何年か前にヘッセの『車輪の下』を読みましたが、最初の方で断念。去年ようやく積読してたものを読みました。それから『春の嵐』にも手を伸ばし、ヘッセの文章には品があるということをようやく理解できました。
そして本書です。今年で40歳を迎える自分にも老いは進行/侵攻してくるわけで、”良く老いる”とは何かというテーマ性を持つ詩やエッセイからヒントがないかと読みました。見事な自然描写の傍らで青年と老年の境をつづる”夏の終わり”、年を取っていることは若いことと同じように神聖な使命だと述べる”老齢について”など。それらを始めとした文章から、年を取るにつれての心構えや受け入れるという行為を大事にしなきゃいけないのかと思わされる。
しかしながら、”人は成熟するにつれて若くなる。全ての人にあてはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ(p72)”といえるヘッセの気の持ち用は、簡単に真似できるもんじゃないですね。
年をとるということは、たしかに体力が衰えてゆくことであり、生気を失ってゆくことであるけれど、それだけではなく生涯のそれぞれの段階がそうであるように、その固有の価値を、その固有の魅力を、その固有の知恵を、その固有の悲しみをもつ
『人は成熟するにつれて若くなる』p71より
