個人的推薦小説30選

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 個人的名盤に続く個人的シリーズ第2弾。今回は小説編ということで推薦小説30選です。名小説というのは恐れ多かったので、推薦ということばで濁しています。とはいえ作品はあなたの心を動かすものが揃っているとはずなので、読んでみていただければ幸いです。大人の約半分は読書をしないそうですが、読むきっかけを作れたら良いなあと思っています。

 選考はわたしがこれまでに読んだ中で気に入ったもの。純文学がやや多め、最近の作家多め。海外文学少々。順番はテキトーに配置していますけど、最初だけはわたしが小説を読むきっかけになった作品を置いています。では以下からどうぞ。

目次

大崎善生 / パイロットフィッシュ

人は、一度巡りあった人と二度と別れることはできない。なぜなら人間には記憶という能力があり、そして否が応にも記憶とともに現在を生きているからである

これまでに出会ってきた多くの人たちから影響を受け続け、そしてそんな人たちと過ごした記憶の集合体のようになって今の僕があるかもしれない

大崎善生『パイロットフィッシュ』p9、p229より引用

 それまでほとんど小説を読んでこなかったわたしが、20歳ぐらいの時に本著を読んで小説を読むきっかけとなった作品。ゆえに思い入れが深く、何度となく読み直しています。上記に引用した言葉には、かなり影響を受けていると思います。

 物語としては、アダルト雑誌の編集部に勤める主人公・山崎のもとに、元恋人から19年ぶりに電話が入ることで回想と現在を交錯しながら展開していく作品。村上春樹氏に影響を受けただろう文体に惹かれ、どこか淡々としつつも切なさが滲みdる。本著には男のロマン的な部分が強いのは否定できないところもあります。ですが、良くも悪くも人は記憶の集合体だということを、『パイロットフィッシュ』を読んで強く意識するようになってしまったんですよね。

 ちなみにほぼ同じ設定で映画化もされた次作『アジアンタムブルー』、10数年後に発表された『エンプティスター』という作品もあります。しかし、初めての小説にしてこれが最高傑作だと思う。大崎さんは、映画化もされたノンフィクション『聖の青春』の著者でもある。

村田沙耶香 / コンビニ人間

36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしいと突きつけられるが…。「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作。第155回芥川賞受賞。

 単行本で出たときに発売日に買って読む(芥川賞受賞前)、文庫化されたを機に10数回も読み返している。上記の『パイロットフィッシュ』よりも読み込んでいると思う、村田さんの芥川賞受賞作。朝日新聞が選出した平成の30冊にも選ばれている。

 コンビニで18年間アルバイトを続ける古倉恵子さんが、コンビニ店員を務めることで世界の歯車の一部として機能する物語(世界とつながると言ったほうがいいのか)。途中で同じようにムラを弾かれた白羽さんが入ってくることで混沌とした内容へ。仕事(正社員)、恋愛、結婚、家族など価値観は多様化しているようでそうではなく、”当たり前=普通”を押し付ける

 このように古倉さんや白羽さん視点(異端側)で書かれてるので、ムラにちゃんと属せている人々(社会適合者)が逆に異端に思えたりもしてきますが、何が普通なのか、そもそも普通とはなんだを考えさせられます。それこそ某バンドの誰のルールで生きてる的な。さらっと読めるわりに深みある小説。海外ではわりとコメディ的な評価されていたりするそうですが。

 ちなみに自分は4年ほどコンビニでバイトしてたのですが、コンビニの神からの天啓が聞こえたことは一度もありません(笑)。10年以上勤めないと、神は降臨しないのか。わたしがコンビニで働いて一番強く感じたのが、本当にいろんな人がいるんだことですね。怖い業種の方もお年寄りもカップルも、子どもだってそうだし、礼儀正しい人も無茶苦茶な人もイキッた人もくる。どんな人だって集まる場所、それがコンビニ。どんなことだって起こりうる、それがコンビニ。まあ、15年近く前の話ですが。

 中村文則さんが解説を書かれてますけど、「社会は多様性に向かっていると表面的には言われるが、この小説にある通り決してそうではなく、実は内向きになっている。社会が”普通”を要求する圧力は、年々強くなっているように思う(p166)」とはこれまさに。氏の言う「普通圧力」は本当に感じますよね。30歳超えると余計に(苦笑)。吉田修一先生は「普通ってのは実はレベルが高いこと」と言ってるぐらいだから普通ってのは大変なことだと思うのですが。

この世界は異物を認めない。皆が足並みを揃えてないとダメなんだ。少数派だというだけで、皆が僕の人生を簡単に強姦する。

村田沙耶香『コンビニ人間』p89~p90より引用

中村文則 / 遮光

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恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると、その幸福を語り続ける男。彼の手元には、黒いビニールに包まれた謎の瓶があった―。それは純愛か、狂気か。喪失感と行き場のない怒りに覆われた青春を、悲しみに抵抗する「虚言癖」の青年のうちに描き、圧倒的な衝撃と賞賛を集めた野間文芸新人賞受賞作。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家の初期決定的代表作。

 デビュー作『銃』では銃を拾ったことでそれに魅了されてのめり込んでいく。2作目となる本作では、主人公が不慮の事故で唐突に亡くなった恋人・美紀の小指を切り取り、形見として持ち歩いている。肩身を偏愛し、けれども逆に支配されるように狂っていく。虚言癖のある彼だが、恋人への愛はおそらく偽りはない。太陽に晒される惨め、いつも隣人の陰鬱、全く見えない希望。ひたすらに暗く救いがない。中村文則さんの作品はほとんど読んでますが、これを一番読んでます。

幸福な狂人、そんなものが実際に存在するのかどうかわからないが、私には、狂人というのは一般的に幸福に見えた

中村文則『遮光』p103より引用

遠野遥 / 改良

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 当ブログの読者に対して紹介するには、BUCK-TICKの櫻井氏のご子息といった方が興味が惹かれるでしょうか。設定は20歳ぐらいの若い男性が極度に美しさを追い求めていく物語で、テーマが興味深い。芥川賞を受賞した『破局』よりも自分としては完全に本作の方が好みです。

 女装することで見出すもう一つの自分。瞳、髪、顔全体、全身、服装と細部に至るまでしっかりと作り上げていくことで磨かれていく美。それでも完璧はないが、女装して外に出かけられるようになるぐらい、自分の中で美への精度は上がっていく。そうかと思えば恋愛対象は女性であって、LGBT等の要素はない。デリヘルをわりと頻繁に呼んでおり、性欲は決まってカオリという女性に慰められる。美しさを磨くのは自分のため。磨き上げることで新たにつくられる自分。

 主人公が貫く美しさへのこだわりは他者に対して特に強まる。女性に対して美のジャッジは余計に厳しい。顔のバランスや全身のフォルムなどを隈なくチェックして、心の中で強めにダメ出し。美しさは、何ものにも変え難い物差しになっている。さらに言えば美しさへの気配りが足りてない人間に関してはそれこそ蔑視するプライドさえ持っている。

 僕は音楽への目覚めがヴィジュアル系と呼ばれるものからスタートしている関係で(1998年のヴィジュアル系全盛期と呼ばれた時代からです)、男性が美を追い求めていく意識には理解があると思っている。男性だろうが、女性だろうが、美しいものへの憧れというのはあるでしょう。自分の求める姿へ自分を近づける努力、それは年を重ねようが変わらない。

 本作は、最終的には転調としてもたらされる暴力が崩壊を呼ぶ。ラストは展開が一気に加速するのでなかなかにスリリングだし、痛みをも伴う。トイレの便座が下がってないことへの憤り、主人公の精微な観察眼など『破局』に引き継がれるている部分も見受けられます。『改良』は美意識の物語だと言えますが、Vの血が流れてるゆえの表現という気がしないでもない。

そもそも、私はどうして美しくなりたいのだろうか。人間の価値は、当然美しさだけでは決まらない。大事なものは、ほかにもたくさんあるはずだ。強さ、優しさ、健康、財産、地位、友達・・・。しかし、どれも美しさの前では霞ように思えてならなかった。

遠野遥『改良』 P41より引用

平野啓一郎 / マチネの終わりに

 国際情勢を絡めながらの大人恋愛小説。良き年齢でお互いを想いあい、尊敬しあえる関係だからこそあそこで運命に翻弄され、別々になってしまったのかなと。美しい言葉に彩られていて、情緒豊か。福山雅治さんと石田ゆり子さん主演で映画化されましたが、その時に改めて読んで素晴らしい作品だなと思いました。確かにこの世界にずっと浸っていたくなる。

 「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去はそれぐらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?(p33)」という主人公・蒔野の言葉がとにかく印象的。過去は今の影響を受けてその思い出が鮮やかにもなり、暗くもなりうるという考えは読んでてハッとしたところです。

音楽は、静寂の美に対し、それへの対決から生まれるものであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある

平野啓一郎『マチネの終わりに』p45より引用

凪良ゆう / 流浪の月

 事実と真実は違うことである。そのテーマを基に、少女誘拐事件の犯人となった文(フミ)と被害者とされた更紗の物語が展開される。19歳と9歳だった事件当時、そして再会した15年後も二人は言葉では言い表せない特異な関係であり続ける。逃れられない痛みと孤独感。二人が再会した後の展開は、苦しさを覚えることが多いが、文と更紗の未来が気になって一気に読んでしまった。

 共依存というかはお互いが心の拠り所であって、恋愛ではないけれどそれ以上の心の繋がりがある。その美しさが文章からにじみ出ています。しかし、他者は二人の関係性を異常だと決めつけ、特に更紗はそんな人たちからの病気や洗脳判定に苦しむ。部外者たちが振りかざす正義の暴走と勝手な解釈、好奇心のおもちゃにされてずっと裁かれ続けてしまう。ネット時代になってそれはほぼ永久的に続き、どこに行っても追っかけてくる。それに優しさだって暴力になるということは、本著は伝えている。

 二人のことは二人にしかわからない。真実はそこにしかない。そんな二人でも完璧に理解し合えることはない。それでも、寄り添って生きている。生きていく。たとえ世間が納得しなくても。

こんなに思いやりがあふれている世界で、これほど気遣ってもらいながら、わたしは絶望的にわかり合えないことを思い知らされるばかりだ

凪良ゆう『流浪の月』P270より引用

尾崎世界観 / 祐介

 クリープハイプのフロントマン、尾崎世界観さんの初小説。自伝的とは謳うものの、違う気はしている。20歳ぐらいの売れないバンドマンの物語。”ハッピーエンド? クソくらえっ!!”っていうぐらいに怒りと劣等感の世界に入り浸ります。懸ける想いとは裏腹に、音楽で生きていくことの辛さがこれでもかと伝わる。

 7バンド出るライヴハウスの企画で、すし詰めの楽屋と比べてほとんどお客がいないフロアの対比だったり。高いノルマをライヴハウスに払ってライヴをしている自分たちに比べ、劇場出演1回500円もらえる芸人を死ぬほどうらやましく思ったり。ライブハウスで1回のライブをすること。その金銭的負担がどれぐらいキツイのかがこれだけでわかると思います。

 「未来を射抜く希望の音」等の音楽雑誌の安いキャッチコピーすらつかない自分たちの音楽に絶望したり。ひたすらの怒りと皮肉、むき出しの焦燥感、他人とやり取りはしていても絶望なまでに感じる虚無と孤独。懸命にもがいているけど、どこにも希望なんて無くて、結局どこにいけば、どうすればわからなくなっていく感じが強い。帯に救いって書いてあるけど、「救わない物語」という印象。僕は好きですね。

 芥川賞候補作『母影』も読みましたが、あれはよくわからなかった(子供視点の作品って難しい。自分がその視点に降りて読めないからのが要因だと思ってますけど)。

本谷有希子 / 静かに、ねぇ、静かに

 短・中編3作を収録した芥川賞受賞後第1作の文庫化。飛びぬけおもしろかったのが最初の「本当の旅」。SNSのいいねを羅針盤に生きる(作中ではインスタ)、現代人を風刺したもの。ちょっと前に観た映画にあった「現代人はアルゴリズムで物を買う」って台詞を思い出します。『いいね♪』中毒は誰しもの活力となっている。

 主な登場人物である男女3人(ハネケン[僕]、づっちん、ヤマコ)はアラフォーであり、みながする普通の生き方を蔑みながら、中年を超えてもなお自由を謳歌し続けている。今回も格安のマレーシア旅行で本当の僕たちとその場で得る感動をアップすべく、最強の3人での旅が始まるんだとワクテカが止まらない。

 友達に感謝、見える風景に感謝、生きてることに感謝と空虚なありがとうの連発。何十年放送されてても、何に感謝してるかわかんないオールスター感謝祭かとツッコミたくなる。3人そろえば最強!とか言って集合写真祭りでヒャッハー。映えの最高金賞を受賞するべく、SNSで本当の自分を作り上げている。その本当が正しいのかはさておいて。

 いいね!は彼らの最重要栄養素。今そこに自分がいること、その場で自分が感じていることが大事なんだ、そう思いながら、いいねのためにクリエイションし続ける。たとえどんな状況になったとしても。マインドとかヴァイブスとか普段から言葉として使ってるヤツらの危険さだったり、薄っぺらさだったりが際立つ。とはいえ本谷さんからすれば、本作を読んでる君たちも知らずに知らずにこうなんですよ、とせせら笑ってるのかもしれない。

 『本当の旅』の”本当”ってのがまず何なのよって言いたそうな。ラストシーンの切れ味。周りがポカーンとしようが、僕たち3人にはこれがある、こんな奇跡の一枚を世界に届けたいんだというポジティブさがあまりに痛快。武田砂鉄さんの解説もキレキレで笑えます。

山崎ナオコーラ / 美しい距離

 連れ添って15年以上になる同い年の40代夫婦。子どもはいなくとも円満な生活を送っていたが、40を少し過ぎたところで妻が癌に侵される。月日の経過とともに弱っていく妻、それを見守る夫の目線で描いていくのが本作。

 今そこで現在進行中の大病を取り扱っていても、決して重さを感じさせない内容。余命宣告を受けているために確実な終わりへと続く日々の中、自身の感受性に苛立ちながらも、”どう寄り添っていく”のが正しいのかを思慮して夫は看病をし続ける。適切な距離感を感じ考えながら。しかし、他者が不用意な善意で作り上げる身勝手&無責任な理由探し、親切の押し売りに辟易してしまう。やはり人との関係性は難しい。それに病院関係者との付き合い方もなかなか大変なものだ。

 作中、妻は死まで到達してしまうことになる。それでも感受性、外野の理由探し、延命治療等の矢を思考に突き刺しながら淡々と綴っているからか、深くまで悲しみを覚える感じではない。軽やかな2人のやり取りが死よりも生を浮かび上がらせ、今を焼きつける。配偶者だから自分が彼女を独占できるわけではない。妻が生きている時だって、亡くなってからだって、関係性は続く。2人を常に適切な美しい距離にしようと、この夫なら考え続けることでしょう。

死の瞬間を、大事な時間のように捉えたくない。死の瞬間なんて重要視していない、それのために見舞いに来ているのではない、今のこの瞬間のために見舞っているのだ

山崎ナオコーラ『美しい距離』 p137より引用

吉村萬壱 / ボラード病

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B県海塚市は、過去の災厄から蘇りつつある復興の町。皆が心を一つに強く結び合って「海塚讃歌」を歌い、新鮮な地元の魚や野菜を食べ、港の清掃活動に励み、同級生が次々と死んでいく―。集団心理の歪み、蔓延る同調圧力の不穏さを、少女の回想でつづり、読む者を震撼させたディストピア小説の傑作。

 大きな災害から復興の最中である海塚市。そこに引っ越してきたある小学校高学年の女子を語り手に、この不穏な街について描かれる。集団心理、同調圧力に翻弄され、その連帯の象徴である街の名を連呼する「海塚賛歌」が人々の心の拠り所。奇跡の復興へと進む美しい街は、自分が街の生命体の一部と感じるほどの住民の”結び合い”で成り立っている。

 その事に違和感のあった女の子も、海塚に溶け込むことでドウチョウしていく事になる。ゆえに歪んで見えていたものが、ある日急にきれいに見えるようになる。それでも、この街にドウチョウできない人間は病気認定で排除されていく。学校の友達や先生、そのほかいろいろ。そんな中で最終章で描かれる狂気と正常とは? 本当の世界とはなんだろうか。世界とは何かをきっかけにひっくり返る。正しさなんてすぐに変わる。ドウチョウの恐怖と代償。

人間の意識というのは、実に不思議なものです。周りの人間の言動次第で、見えるものも見えなくなってしまうのです。自分の目で見て三角のものでも、周りの人間が一人残らずそれを丸だと主張すれば、それは丸なのです。

吉村萬壱『ボラード病』 p178より引用

彩瀬まる / くちなし

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 『朝が来るまでそばにいる』は幻想・異形といった言葉が当てはまる短編集でした。本作にもそういった形容がもたらされる7つの短編集。”不倫だったけどもその終わりで男の片腕を所有して暮らす女性の話”、”運命の人同士であうと身体の一部に花が咲き誇る話”、”男女が昼と夜で分断される話”、”愛するがゆえに人の姿を変え、その相手を飲み込んでしまう話”などなど。

 設定は奇怪ですが、万物は本能的に愛を欲し、愛が存在する世界にいるということか。恒川光太郎さんと村田沙耶香さんが魔合体したような世界、そして狂愛に飲まれる。

世界の半分しか見えなくても、それで満たされるならいいと思う。なにもかもを知ろうとするのは、まるで愛する人を信じていないみたいだ

彩瀬まる『くちなし』 P111より引用

紗倉まな / 春、死なん

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 100ぺージ手前の中編「春、死なん」、50ページと少しの短編「ははばなれ」の2作を収録。前者は老人の性と孤独、後者が母としての性をテーマに書かれている。著者の作品は『最低。』しか読めてませんが(こちらは映画の方も鑑賞)、そこから確実な成長を示し、テーマが深々と突き刺さる本作には感嘆するほかないです。

 「老人は黙ってゲートボールでもしていれば満足なのか(p88)」と怒りに震えた声で、息子嫁と孫娘に答える70歳の富雄。表題作『春、死なん』は妻に先立たれて6年が経過した富雄にスポットをあてる。パートナーを失ってしまったがための埋めようのない孤独。それでも決して枯渇することのない性欲。

 50年ほどさかのぼる学生時代に一度だけ関係を持った文江との邂逅。以前に息子からの提案で実現した2世帯住宅のおかげで不自由なく暮らしていける、と思っていたはずが少しずつ歪んでいったその先にあった妻の死は、富雄に6年経っても決して消えない寂しさを植え付け、自由を奪った。

 再び出会った文江とのやり取りを通して、やっぱり自覚する男としての執着、性や自由への足掻き。とりわけ床に散らばったアダルト雑誌をみた孫娘に「ありえないでしょ。じじいのくせに」と言われたのに対し、「どう足掻いたって変わらないんだ。何も。昔も、今も。俺が男であることは、欲望を持った男であることは、一切変わってなんかいない。」と怒気を孕んで言うシーンは白眉。そんな富雄でも食事の際は、二つの茶碗にご飯をよそい、ひとつを誰も座ることのない席に置いている。

 「ははばなれ」は、女として生きることと妻・母として生きることへの葛藤を描く。結婚して2年経つが、子どもを授かってない20代後半のコヨミ。彼女の視点からの物語となるけれど、恋に性に軽やかになっていく母を軽蔑のまなざしでみるも、自身が子を産まずにこのまま暮らしていこうとする決意に迷いがある。

 母は亡き父だけを愛する聖人ではない。それはわかってはいるけれど、どうしてもそうあって欲しいという願望。『春、死なん』のラスト付近でも出てきた清廉潔白なじいさん、そして夫婦仲良い自慢の母という家族からの理想像や役割からの解放を訴える。血縁者であっても、ひとりの人間としての尊重。ただ、それが難しい。

 いくら年をとっていっても死ぬ瞬間まで男であり、女である。紗倉さんは人間の持つ欲求として、半端なことをせずに真正面から描き切っている。年齢を重ねると、”はしたない”と世間から許されなくなっていくことも、本作を読めば考え改めるかもしれない。

田中慎弥 / 完全犯罪の恋

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 私小説からの変容か。まるっきりのフィクションか。有名な賞を取ったものの40代後半となって息詰まる作家・田中の回想と現在を交錯して描く物語。

 かつて過ごした下関、その高校時代に小説好きな女性・緑に抱いた恋心。そこから30年以上経つ現在では、緑の娘を名乗る女性が現れ・・・。思い出が持つ罪と感傷、地続きの今における作家として生きて書いていくことへの覚悟。ある程度は自己投影されているだろうけど、これが全くのフィクションだと言われても、その力量ある作家でしょうからね。

 実は田中さんの作品は初めて読んだのですが、初めての恋ゆえ、さらに若さゆえの純真さを持っているために相手への想いの暴走が見られますが、やはり純文学としての味わいが勝るといえますかね。ミステリーっぽい煽りはしているけど、そんなことはなく。

 若き日の文学への目覚め、それを共有できる異性の存在。当然のように惹かれていき、些細なやり取りですら美化された過去。蒼き日々、でも、どことなく憂いと静かな怒りのようなものを湛えている。娘の登場によって、客観視した過去を語る中で、田中が過ちだと思っていることが浮かびあがる。思い出が持つ罪と感傷。

 そして、自身が獲得した賞にあたる文豪(芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫)が出てくるのですが、彼らの作品と彼らが遂げてしまった自死への著者なりの考察。自死を前提に作品を考えるべきか、作家と作品を別に考えるべきか。僕なんかは、彼らがそうした死に方を選んだことを知ったうえで読むのが前提になっているが、あまり深く考えてはいなかったことを思い知る。

作品と作家は別に考えるべきです。死に方がどうであれ、作品は作品として読み、好き嫌いだと言ってしまって、いっこうに構いません。しかし、小説を仕事とする者として、作品は好きだけど、死に方はいやだ、自殺がいいことであるわけがないと物分かりよく言ってしまっていいものか

田中慎弥『完全犯罪の恋』p129より引用

岡本学 / アウア・エイジ

 第163回芥川賞候補作。40代を少し過ぎ、敗戦処理の気配が漂う先の人生と自身で卑下するほどに、生き飽きてしまった私(主人公)。目標も希望も見出せず、ただ余生を過ごしてるだけのような日々。今後も何も起きないし、起こす気力もない。年齢を重ねすぎてしまったがゆえ、またおそらく人生の中間地点を過ぎてしまったことで悟っただろう自分への諦め。

 そんな彼のもとへ、かつてアルバイトとしていた映画館(飯田橋ギンレイホールをモデルとしたらしい)から、20年ぶりに封書が届いたのを機に訪れてみることに。約1年ほどの勤務だったが、蘇る懐かしい日々。そこから当時に思いを寄せていた女性・ミスミとの思い出を辿っていく(既に亡くなっているために回想のみの登場)。と同時に彼女が残した塔が写った謎の写真を探る。現在と20年前の映画館バイト時代を交互に行き交いながら進む、ミステリー的な要素を含む純文学。

 謎は読み進めるごとに、少しずつ紐解け、最後には全てが結びつく。彼女の死についても、写真の塔についても、そこに書かれている”our age”という言葉についても。けれども、謎解きのスリリングさやすっきり感よりも、主人公が放つ諦念や哀愁の方に揺さぶられる。冴えない人間はこんなもんですよ、と諦めからきた虚しさばかりが悪い意味で充実。

 サラリーマン10年の後、大学教員として収まった私。漂う人生終盤感。それが急にスイッチ入って写真の真実を知ろうとするとは。好きだったけど恋人関係にならなかった相手は、必要以上に美化してしまうからなのか。とはいえ、ミスミが生きていたとしても、彼女と結ばれることは無かったと結論づけるほかない物語の流れがある。その報われなさと儚さが、本作を貫く何とも言えない哀愁と諦観に繋がっているように思います。思うのは大崎善生さんの「パイロットフィッシュ」と同じ匂いがする作品だということ。まあ、こちらの『アウア・エイジ』の方が遥かに上品な作品ではありますが。

 無気力な日々を送っていた主人公が、謎解きのあとに自身の主題を得る。”使命としての伝達”。それは誰しもが考えていかなければいけないことかもしれない。自分としては登場人物のひとりが言う「欲との距離感」の方が興味深い。

朝井リョウ / ままならないから私とあなた

 「レンタル世界(60頁ほど)」と「ままならないから私とあなた(220頁ほど)」の2編を収録。どちらの作品にも言えるのが、考え方や価値観は人それぞれであり、不可侵のものであること。合理的と人間的(非合理的)を対立させて書いてますけど、それらの主張がストンと入ってくる。人間関係と価値観の衝突、わたしとあなたの違い。朝井さんの作品ではトップクラスに好きな作品。

 「レンタル世界」においては、体育会系にありがちな本物の信頼関係による結びつき、それにお互いのことなんでも知ってて当たり前、これこそが絆だと信じて疑わない主人公がいます。しかしながら、人間レンタル業で働く女の子と出会い、やり取りしていく中で、真っ向から価値観をぶっ壊される。53頁以降の展開は、マジでグサグサきますよ。他人に押し付けられる自分の正しさなんて無いわけで。ましてや自分が相手の考え方・価値観を変えてやるなんてのは傲慢以外の何物でもない。僕としては「レンタル世界」の方が好きですね。

 表題作「ままならないから私とあなた」は徹底的に合理的で効率性重視の薫、無駄なことにこそ人間味が宿ると思っている雪子が対立する。とにかく時短や生産性の重視で便利なものはなんでも使うこと、対してのアナログ的なことにこそ味があるという考え方。]

 これは今でも変わらずに両者は存在するし、どちらが正しいというわけではない。人間の生き方であり、選び方であると思う。けれども、雪子の「ままならないことがあるから、皆別々の人間でいられる」という言葉に心地よさを覚えたりします。Basd Ball Bearの小出さんの解説が秀逸。ということで文庫版をおススメします。

葉真中顕 / ロスト・ケア

戦後犯罪史に残る凶悪犯に降された死刑判決。その報を知ったとき、正義を信じる検察官・大友の耳の奥に響く痛ましい叫び―悔い改めろ!介護現場に溢れる悲鳴、社会システムがもたらす歪み、善悪の意味…。現代を生きる誰しもが逃れられないテーマに、圧倒的リアリティと緻密な構成力で迫る!全選考委員絶賛のもと放たれた、日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。

 日本の高齢化社会・介護問題を取り扱った社会派ミステリー。想像を絶するようなことであるが、当たり前のように身近なことで誰にでも起こりうること。残酷だけどもその悪性が善に変わるリアルな描写が見事といいますか。タイトルの『ロスト・ケア』の意味とは。これからの高齢化社会がますます怖くなる。以前に読んだ『絶叫』と並ぶ苛烈な作品でした。

 2023年に映画公開予定となっているそうですけど、結末を知っているのでどう描くのかが気になるところ。

宮下奈都 / 静かな雨

 著者デビュー作。生まれつき足に麻痺を持つ行助。たい焼き屋を切り盛りするも、事故に遭って毎日の記憶がリセットされるこよみ。そんな2人が日々を重ねていく。一方では積み重なる記憶、一方では増えない記憶。こよみさんは1日しか記憶が持たず、新しい日々を繋げない。それでもささやかな日常を通して深まっていく絆、少しだけ重なる2人の世界

 「人間を生まれてから今までの記憶、経験した全てのことで形作られる」と行助の姉は言う。対して行助は「毎日の生活の中での”思い”で人はできてるんじゃないか」と答える。記憶は無くしても何かは残り、積み重なっていく。だからか2人は事故前よりも親密になる。ただ物語には諦念と残酷さみたいなのも感じとれる。明け方の雨に泣くこよみさんは、どんな想いを抱いていたのだろう?それでも行助には、その彼女の姿が美しく映る。

 中川龍太郎監督によって映画化。こちらでは家族構成や新たな登場人物を生み出しつつ、現代に地に足をつけて生きる若者としての行助を描いている。

あたしたちは自分の知っているものでしか世界をつくれないの。あたしのいる世界は、あたしが実際に体験したこと、自分で見たり聞いたり触ったりしたこと、考えたり感じたりしたこと、そこに少しばかりの想像力が加わったものでしかないんだから。

宮下奈都『静かな雨』p57より引用

李琴峰 / ポラリスが降り注ぐ夜

 『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した李琴峰さんの2020年作。受賞新宿2丁目の女性専用バー「ポラリス」を舞台に、日中台の国境を越えて様々なセクシャル・マイノリティを持つ女性7人の物語が描かれる。

 LGBTを扱った作品は小説にしろ映画にしろ、いろいろ触れてはきましたが、ここまで多様性をもって書かれた作品は初めてかも。アセクシャル、パンセクシャルなど聞いたことがなかった言葉が出てくるが、そういったジャンル分け/線引きに救われる人間もいれば、そうではないと拒む人間もいたり。

 女性が女性を愛するということを主に捉えた中で、悪いことではないはずなのにその生き辛さや苦しみを描き、自らのアイデンティティと対峙する。男女という最も単純な区分けの中で、そこからはみだしてしまう人たちの疎外感は想像以上のものであるのだと。

 自分が印象に残っているのは、第五章「深い縦穴」の終盤における香凛と路上人生相談屋の男とのやり取り。人間が自分自身を変えることについて考察する中、男がある学者の言葉を引用して、香凛がますます思考の迷路に陥っていく。答えなんて簡単に出るものではないが、それでも吹っ切れて前へと進む。

 そして、第六章の「五つの災い」。ある男性が女性となっていくストーリーですが、男性だけども女性として見られないことへの苦悩。時を経て見た目も戸籍も含めて完全に女性になったものの、その新生活においての元男性であることへの苦悩。両方が本章では十二分に伝わる。

歴史を知るのは郷愁に浸るためではなく、自分のよって立つところを確認するためである。それが確認できれば、今ここにいる自分の存在にも意味が見出せる

李琴峰『ポラリスが降り注ぐ夜』p259より引用

寺地はるな / 大人は泣かないと思っていた

 寺地はるなさんの作品は、常に視線が優しい。特に本著は帯にもある通りに「らしさ、こうあらねばならない」という呪縛からの解き放ち。寺地さんは5冊ぐらい読んでますけど、一貫して温かさと多様性の肯定が根本にあります。

 本著は32歳の市役所勤め・時田翼を軸に、語り手が次々と変わる連作短編集。片田舎の狭いコミュニティで昔からの慣習や考え方、男らしさ・女らしさ、当たり前の枠組み。それらに警鐘を鳴らしつつ個性を尊重するような希望が書かれている。男のクセに泣くな、女なのに生意気だ、九州人なのに酒も飲めないのかなど。本来、ひとりひとりの特性があるはずだが、大きな枠組みで語られてしまう不条理に、寺地さんは物語を通して声を上げる。

 それなのに本作はとても読みやすく、7つの短編を通して多様性に対してのフェアな視点と優しさがある。小説を読みなれていない人にもオススメの一冊です。

桐野夏生 / 日没

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 小説家・マッツ夢井(本名・松重カンナ、40代女性)の元に届いた召喚状。国からのお墨付きである”文化文芸倫理向上委員会(通称:文倫)”を名乗る団体からであり、拒否権は無く出頭義務があるらしい。それに応じて指定の場所へ出かけると、彼女は海辺の隔離された施設に収容される。表向きは治療であるが、真には作家としての転向・更生の日々を描く。自死をも強制するような苦しみの日々を過ごしながら。

 文倫は映倫の文学版的なものという記載がp59にあります。小説の内容にクレームがあったことで(本作においては女性蔑視と差別的表現)、マッツ夢井は規制の対象となってしまった。表現は規制・コンプライアンスの下での自由となり、芸術となる。誰もが安心して読むことができる小説が良い作品であり、他はもってのほかの悪いもの。

 だから文倫は、良い小説が書けるように治療してあげますよと、恐ろしい日々を提供する。時間割通りの生活、入院食の方がマシと思える食事、WiFiなし、他の収容者との会話禁止、終日監視、強制された作文など。減点がかさむともっと酷い仕打ちが当然のように存在する。しかもこの施設から、いつ出られるのかはわからないし、永遠に出られず朽ちていく人間の方が多い。

 弾圧される思想・表現、追い詰められていく肉体と精神。自由に書けることの尊さ、いつも通りの生活ができることの尊さを感じることがじんわりと響きます。と同時に人ってのは、簡単に自由を奪われてしまう生き物であることも。

 社会に適応した小説とは何か。お涙頂戴の感動もの、映画原作になるようなもの、それこそノーベル文学賞になるようなものなどか。ただ、本作にも出てくるがいろいろな人やものを描くことがという想いはある。それにしても読みながらここまでゾクゾクさせられるとは。恐怖を覚えつつもページをかじりつくように読んだ。そして、こんな世界は近づいてきてはいる。

コンテンツじゃない、作品だ。私が血と汗と涙で書いた作品だ。それをコンテンツだなんて呼ぶな。誰かが書いた作品に軽重もないし、良し悪しもない。勝手に差別するんじゃないよ。

桐野夏生『日没』p294より引用

乗代雄介 / 旅する練習

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2020年3月、コロナ禍で予定がなくなった春休み。中学入学を控えたサッカー少女・亜美と、叔父で小説家の「私」は、我孫子から、鹿島アントラーズの本拠地をめざして、利根川沿いを歩き始める……。サッカーの練習や風景描写をしながらの「書く、蹴る、歩く」の旅を描く。第164回芥川賞候補作。

 読んだ小説の中で新型コロナウイルスが登場したのは本作で2冊目。新感染症によって生活が加速度的に蝕まれる2020年3月、何気ない旅路の中で直面する学校や図書館の一時閉鎖。そして、Jリーグの延期。

 その中で回数を刻むリフティングと奥ゆかしさを覚える風景描写が染みる。亜美(これが”アビ”と読むんだな)と私の軽やかな会話劇になんだかホッとする。旅路の中でめぐりあう大学卒業を控えた女性・みどりが直面する現実に辛さを覚える。でも、こんなことが起こってしまった人生なんだけど、終着駅のカシマスタジアムを経てそれぞれの新しい旅路が始まっていく。ささやかな時と風景を描く、そのかけがえのなさを味わう一方で終わりの唐突感に驚いてしまう。それでも惹かれる一冊だ。

 本作には鹿島アントラーズや日本代表監督として活躍したジーコ氏が、ひとりの人生を変えたとして頻繁に名前が登場する。ジーコが人生において絶対に忘れてはならない言葉というのが”忍耐”と”記憶”の二つ。忍耐を忘れないための記憶。だからこそ彼はあそこまでの選手になれたのだろう。ちなみにメッシの名前も出てくるが、本を生涯で一冊すらも読んだことがないらしい。

どんなものでも死はありふれたものと知りながら、それがもたらすものを我々は計りかねている。それでも何か失われたように感じるのは、生きることが何事かもたらすという思い上がりの裏返しだろうか

乗代雄介『旅する練習』p130より引用

早瀬耕 / 彼女の知らない空

 化粧品会社に勤務するもその研究が軍事活動に適用されたり、憲法改正によって交戦権を得た世界に突入していたり、はたまたブラック企業においての個人の過重労働に関してだったり、勤務先が有名人のスキャンダルで混乱するところだったり。作品ごとにテーマの重み・圧は違うけど、自律した人ほど苦しむような社会倫理への葛藤や苦悩が描かれている。

 ゆえの現代~未来へ抱く不安、”自分はこのままで良いのか?”という自問自答。個人は家族とつながっているし、職場とつながっているし、社会・国家とつながっている。その中で自分が持つ正義・倫理観とは違う大きな圧力に屈したり、折り合いをつけていくわけだが、それでもなお信念を持ち続けることの大事さ、読んでて一番感じたのはそこですかね。「東京丸の内口、塹壕の中」は他人事と思えないけど、個人の活動で変えられない無力さが伝わる。

多くのメディアは自死を予防する気はなく、ニュースにできる物理的な殺人事件を待っているだけだ

早瀬耕『彼女の知らない空』より引用

西加奈子 / サラバ

 イランで生まれ、大阪で育つ。家族や世の中に翻弄される主人公ではあるけれども、順風満帆過ぎる10~20代を過ごし(上・中巻)、30代を迎えて以降は一気に転落していく(下巻)。ただその前フリがあるからこそ、最終章が大河のように怒涛の流れで読者を飲み込んでくる。

 終盤、狂気の排出量が人並み外れてた所から立派になった主人公の姉が投げかける言葉が痛切。「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」という言葉は、この小説だからこそ鮮烈に輝いているなあと実感します。又吉先生の解説も秀逸。

 年齢がちょっと上である主人公に自分を重ねたりして本作を読んだけど、自分に自信を持って生きることは僕もできていないと思う。ただ、揺るぎない幹のようなものがあるかはわからないが、”自分は自分でしかない”という感覚をわたしは昔から強く持っている。でも、本作を読んでて一番驚いたことは、クレヨンや色鉛筆の”肌色”が今は無くなり、”うすだいだい”に変わっているというのをようやく知ったことです(汗)。

天祢涼 / 希望が死んだ夜に

神奈川県川崎市で、14歳の女子中学生・冬野ネガが、同級生の春日井のぞみを殺害した容疑で逮捕された。少女は犯行を認めたが、その動機は一切語らない。何故、のぞみは殺されたのか?二人の刑事が捜査を開始すると、意外な事実が浮かび上がって―。現代社会が抱える闇を描いた、社会派青春ミステリー。 

 貧困が奪う未来もあれば、貧困が繋げる友情もある。14歳の少女2人(冬野ネガと春日井のぞみ)がアルバイトを余儀なくされるほどに困窮した家庭環境で生活し続けるというのが、あまりにも痛切で・・・。衣食住は当たり前ではない。きれいごとだけでは生活できない。親の責任、世間の不寛容、現代社会の闇。社会自体が貧しくなっている中で、弱いものはさらに追い打ちをかけられている。希望はあるなんて気軽に言えない。タイトルがひたすらに重く圧し掛かる。

金原ひとみ / アンソーシャルディスタンス

 いずれも女性が主人公の50ページ強の短編5つ収録。生きていることを自覚するための男性への依存、そして、丸腰の生と性を受け止める。女性の読者の方が共感を呼ぶかもしれませんが、男性の自分からしても重たいボディブローを脇腹にグッと撃ち込まれる感じ。冷徹としている中で鋭く熱さを感じさせる文章が並ぶ。

 一番印象的な表題作「アンソーシャル ディスタンス」。ソーシャル・ディスタンスという言葉が当たり前になりつつあり、都知事の「密です!」が声高に叫ばれてゲームにもなった頃に書かれたもの。当時(といっても昨年ですが)、こんな早く今の状況が小説になるんだと驚きましたね。あるカップルが”一定の距離を保つ”という新たな社会規範と目先の我慢よりも、2人でいれば無敵/全能であると本能的に心身ともに強く繋がることを選択する。不謹慎とどれだけ周りにいわれようとも。

 この短編では、2人が出会うきっかけとなったバンドのライヴが中止になったことで、気持ちの糸が一気に切れてしまいます。自分たちの未来がまるで見えなくなってしまう。音楽が失われていくことに対する大いなる憂いは、金原さんの想いがダイレクトに溢れている。自分も高校生の時からもう18年ぐらいずっとライヴに行き続けているので、音楽やエンタメが不要不急という窮屈な現状(最近も音楽フェスの中止が続いておりますが)に対して、辛いものを感じる日々です。表題作はそういった点も含めて、本著で一番印象に残る作品でした。

 どの短編にも言えるのは、生きるというのはコントロールできないものだということ。そして、自分を律するというのは難しいということ。追い詰められると何かに縋り、何かに溺れ、何かを追い求める。誰かにおかしいと言われようが、狂っていると言われようが、壊れていると言われようが、自分はそうしないと保てない。2020年に世界が変わろうと、自分の、自分だけの世界は誰にも侵されたくない。覚悟を決めて読まないとこの毒にクラクラとする。

マルク・デュガン / 透明性

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自国第一主義による地球温暖化は終局を迎え、人類の生存域が北欧地域に限られた2060年代。グーグルによる個人データの完全な可視化は、人間から共感という能力を失わせていた。そんななか、アイスランドで暮らすトランスパランス(透明性)社の元社長が、個人データを人工的な体に移植し、不老不死を可能とする“エンドレス・プログラム”の準備を進めていた。それは、“考えること”を放棄した人類への最後の抵抗にして、ささやかな願いだった―仏のドゥ・マゴ賞受賞作家が放つ、この現在の先にある、不可避な未来への警告。

 『透明性』とは、訳者あとがきによると情報が透明であるということで、一人の人間について外に知られてないことは何もないという意味。2068年という時空まで先にいった世界を描く。その頃には、某検索大手企業に一個人の行動のひとつひとつが完全把握されている。何一つ隠せることはない状況。

 ひとりひとりの資産は丸裸だし(これは既にか)、健康と心理も把握される。そして誰と交際したか、性行為に及んだかまでが全てがデータ化。筒抜け・透明化されることで逆にできあがってしまうユートピア。完全監視社会。人間はそこに慣れ、何の疑いもなく暮らしていく。

 2060年代にはなっているけれども、2030年には既にそんな世界になっている気がしないでもない。そして、本著は人をデータ化することで、データを他の身体に移植することで不老不死を実現するとさえ書いています。

ディーリア・オーエンズ / ザリガニの鳴くところ

 約500ページに及ぶ大作。2021年の本屋大賞翻訳小説部門第1位を受賞した一作です。執筆者は、ノンフィクションの共著を3冊出版している動物学者ディーリア・オーエンズ氏。彼女が70歳近くに初めて敢行した小説が本著となります。その事実だけでも驚き。

 作品の主な時代背景が1950年代~1960年代。舞台はアメリカですが、架空の村として描かれているバークリー・コーブ。物語は非情なまでにムゴくて、DV父による影響で、小学生手前ぐらいの幼き少女・カイアだけを家族は置き去りにしていくわけですから(父も行方不明になる)。その年齢でひとりで生きていかざるを得ない現実。遠のいた輝かしい未来。湿地から見渡す限り拡がる自然は、絶望を乱反射しているかのように最初は映る。

 それでも根源的に備わる人間の生存本能が、生きるを駆り立てます。カイアは湿地の自然に守られる中で、電気なしでトウモロコシの粥を食べて生きるのがやっと生活を送る。孤独、疎外、差別が通底するテーマ。ただ、少女の成長譚としてのカタルシスが本著にはあります。大自然と生物たちとの共生、孤独の中でサバイブするたくましき生き様。その中で関わる人間は少ないながらも、手を差しのべる黒人夫婦、言葉・文学を教えてくれた初恋相手となるテイト。彼等を通して人が人を求める理由、人が人を通して影響し合うことの大切さ、それを教えてくれます。

 けれども、再び起こってしまった裏切りに近い別れが、彼女をまた苦しめる。途中からはミステリー要素を帯びながら、話は展開。カイアが社会から受ける差別・疎外問題が深刻化していく中で、彼女自身が問う生きる意味。動物学者である著者の自然と動物描写、効果的に配置される詩は物語を雄弁に彩る中、なお強い気持ちを持って生き続けるカイアの姿に胸打たれる。全ての生きるを鼓舞し、肯定してくれるそんな小説が読みたいあなたに。

ジョゼ・サラマーゴ / 白の闇

突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。「ミルク色の海」が感染し、善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作。1998年にノーベル文学賞を受賞した著者の最高傑作と評され、「世界最高の文学100冊」にも選出された一作。河出書房がこのタイミングで3月頭に文庫化して復刊。

 目の前が真っ白になる失明が感染症として猛威を振るう。五感から視覚を奪うだけで社会崩壊のスピードは圧倒的に早く。それに伴い、人間の尊厳は消え去る。無秩序の世界だけが残り、地獄絵図の具現化された物語に脳髄がやられ、悪夢が心に刷り込まれるよう。本作にはひとりだけ視力を失わない人物がいますが、見える世界も見えない世界も悲惨しかないと思わされる。

 本著をコロナ禍の突入した2020年4月ごろに読みましたが、深刻化していく世界情勢の中でカミュ『ペスト』と共に感染症の脅威を思い知らされた形。『白の闇』は本当の終末だけに読んだ後のダメージは大きい。しかしながら、会話文が「」で囲まれてないだけでかなり読みにくい。そして1ページに文字ぎっしりなのでさらに読みにくい(ページ数は408頁)。というわけで読むのにもだいぶ苦労します。もちろん、読むためのエネルギーはかなり必要です。2008年に『ブラインドネス』として映画化。

 ちなみに著者原作の『複製された男』は映画で観てます。ドゥニ・ヴィルヌーヴ&ジェイク・ギレンホールというコンビは強力すぎるので。

チェ・ウニョン / わたしに無害なひと

 韓国の女性作家が描く人との出会い、別れ。傷つき、傷つけあいながらも人をどうしようもなく求める。深い孤独を恐れて。しかし、どれだけ深く想いあってもさよならの日は時に訪れてしまう。その儚さや痛みは、歳を重ねても自分の中から決して消えることはない。”過ぎた日々を記憶することの大切さが、人間を人間たらしめるものと私は考えている(p6)”、その著者の言葉通りに過去の記憶を拠り所に、人々はみな生きている。

 収録された7つの短編では、性的マイノリティや差別といった問題にも切り込む。女性だから仕方なく犠牲になるしかないのか。それに対して著者は物語を通して訴える。 84年生まれの著者が青春期を過ごしてきたのが、映画『はちどり』や『82年生まれ、キム・ジヨン』の世界とも重なるために、その2作を鑑賞していることは本作を読み進めていく上でずいぶんと助けになった。20ページ弱で収まる「六〇一、六〇二」は、家父長制に苦しめられる女の子を描いており、『はちどり』に近いものを特に感じるものだった。

 生きていく上で、人は人と関わる。人が人を想う。人は人の気持ちを知りたがる。その切実さが身を切るほどに著者の文章から伝わってきます。中編と呼べるぐらいのページ数で綴られる『砂の家』では、パソコン通信のコミュニティで知り合った2人が愛とは何かを悟り、『告白』は人を傷つけた過去を懺悔し、「アーチデイ」は別れを通して自分の人生を歩むことの尊さを知る。

 ”わたしに無害なひと”というタイトルからすると、他者に対しての思いが浮かんでくるかと思った。けれども、読むと物語を通して自分を省みることばかり。淡々とした文章・訳だけど、グッと懐に入り込んでくる。

人が私を失望させるのだといつも思っていた。でももっと苦しいのは、自分の愛する人を失望させた自分自身だった。私のことを愛する準備ができていた人にまで背を向けさせた、自分自身の荒涼とした心だった

チェ・ウニョン『わたしに無害なひと』p202より引用

フリオ・リャマサーレス / 黄色い雨

沈黙が砂のように私を埋めつくすだろう―スペイン山奥の廃村で、降りつもる死の予兆を前に男は独り身をひそめる。一人また一人と去り行く村人たち、朽ちゆく家屋、そしてあらゆるものの喪失が、圧倒的な孤独と閉塞の詩情を描き出し、「奇蹟的な美しさ」と評された表題作に加え、地方を舞台に忘れ去られた者たちの哀しみを描いた短篇「遮断機のない踏切」「不滅の小説」の訳し下し二篇を収録した文庫オリジナル。 

 名著を読んだという強い気持ちにさせられる。スペインの詩人&作家であるフリオ・リャマサーレス氏による『黄色い雨』。本著は表題作に加え、短篇「遮断機のない踏切」「不滅の小説」の訳し下し二篇を収録した文庫オリジナル。

 スペインの山奥にある廃村を舞台に、ひとり残されて暮らす男の独白が延々と続く。村人はひとり残らず去り、男は妻と犬と残される。だが、妻は寂しさに耐えられずに自死。それ以降は自身が抱える孤独、近いうちにある死を真正面に捉えながら、朽ちていく村を見つめ続ける。その滅びゆく風景と比例するように老いていく自分。それに男の存在を圧倒的に矮小化していく自然の描写。

 孤独に抗いながらも、やがて肉体と精神が地に還っていくことに諦めを覚える。死の雰囲気に支配される中で、詩情豊かな文章が消滅の美しさを浮かび上がらせている。滅びゆく、朽ちていくものに美を見出す。そして、圧倒的な孤独をこれほどまでに美しく描いた作品を私は知らない。

死が私の記憶と目を奪い取っても、何一つ変わりはしないだろう。そうなっても私の記憶と目は夜と肉体を越えて、過去を思い出し、ものを見つづけるだろう

時間はいつもさまざまな傷を消し去る。時間は執拗に降りつづく黄色い雨であり、それが燃えさかる火を少しずつ消し去って行く

フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』p141、p59より引用
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