2024年よかった本まとめ

 わたしはX(ex-Twitter)で読んだ本のことをポストしたりしています。Xでの反応は薄いんですけど(汗)、前々からこれらをまとめた方が良くない?と感じていましたので、記事を立ち上げてみました。

 2024年正月に【2023年ベスト本10選】をアップしましたが、年1よりも通年で定期アップデートさせる記事の方が良いので、”2024年よかった本まとめ”として追加していこうと思ってる次第です。

 年間100冊以上の書籍を読むので全部が全部あげるわけじゃありません。しかしながら、おこがましく思いつつ良かった本はみなさんにも読んでいただきたいですね。それでは以下からどうぞ。

 ※追加したのが新→古の順に並べています。

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2024年よかった本まとめ①

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン」と「ヒン」がある。綿あめのようにひたすら潔白な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった

すべての、白いものたちの(p176 作者の言葉より)

 「白いもの」の目録を書きとめ紡がれた65の物語。しかし、物語というよりは散文詩といった趣です。音楽で例えるならアンビエントとポストクラシカルがない交ぜになったような。言葉がささやかに現れては、儚く消え、現れては消えが繰り返されている。

 本書は「1 私」「2 彼女」「3 すべての、白いものたちの」という三章構成。作品の根幹に生後2時間で亡くなった姉の存在があり、2章では作者である私の身体を通して姉が語る。この白いものたちを巡ることはなかなかにつかみどころがないのですが、平野啓一郎氏の解説が大きな助けになりました。

 訳者の斎藤真理子が巻末の補足で”本書は装置であり、回廊であり、読むというよりその中を歩く本であり、通過する本なのだと思う”と書かれていますが、確かにそんな感じ。

生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。

すべての、白いものたちの(p69より)

岸政彦・柴崎友香『大阪』

 こちらは単行本で読んでいますが、文庫化(加筆&解説が追加)されたので再読。

 大阪へ来た人(岸さん) と出た人(柴崎さん)による共著エッセイ。大阪の断片的な街、人々を描いているのに大阪の歴史を感じる。2人の文章を味わいつつ、自分が暮らしてきた街や人や風景を思い返す。大阪に縁がある人もそうでない人にもオススメです。

大阪とは、単なる地理的な位や境界線のことを指すのではなく、そこで生きている時間のことでもあるのだ。大阪という空間、大阪という時間。だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものでもある。ただ単に空間的に人びとが集まっているだけではなく、人びとの人生に流れる時間が、そこには集まっている。だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものである

『大阪』p10:岸政彦・著

「大阪」について、わたしはとても狭い範囲のことしか知らない。大阪も、他の場所も、知らないところ、想像し足りないところばかりだ。わたしは、風景を書いている。わたしは、風景は人の暮らしそのものだと思う(著)

『大阪』p46:柴崎友香・著

横尾忠則『言葉を離れる』

 ワールドワイドに活躍する美術家が80歳を超えてなお創作する心の軌跡を、想定外の半生を振り返り綴ったエッセイ集。講談社エッセイ賞受賞作。

 タイトルのわりに改行少なく言葉ぎっちりじゃねえかとツッコみたくなりますが、中身は氏の創作についての語りと半生を振り返るエッセイ集です。とはいえ、読んでて印象に残ったのは黒沢明監督が「主題は何ですか?」と訊かれると烈火のごとく怒ったというエピソード。わたしも過去に行ったインタビューで聞いてたので気を付けないといけない・・・。

 創作をする人、しない人にも人生訓として心にとどめておきたい言葉の数々。あとは三島由紀夫氏を始めとした偉人オールスターズとのやり取りも読んでいておもしろい。

役に立つことを一生懸命、これをやることで社会に還元するとかいうことは人生じゃなくて、実に役に立たないことを一生懸命やることが人生なのかなということです。役に立たないこと、真面目なのかお遊びなのかふざけているのかわからないことをやるということことが人生にとってすごく重要なんじゃないかなと言う気がするんですよね

言葉を離れる』p238より

松永K三蔵『バリ山行』

 バリ山行のバリとはバリエーションルートの略であり、通常の登山道ではない道をいくこと(p35)。”純文山岳小説”と銘打たれた本作は、家族持ちのサラリーマン労働生活と臨場感ある登山の描写が半々ずつぐらい。

 悪化していく会社の業績から家族を養っていけるかという先行き不安の危機、バリ山行に出向いたことで遭遇した一瞬で死と隣り合わせの危機。主人公・波多が直面するその事態を丁寧に描写しています。

 労働も山も明確な答えを決して教えてくれません。共に人生は道なき道だと伝えてるようでもある。だからこそ人は悩み葛藤し、思考し行動する。オススメ小説です。芥川賞受賞作のわりに読みやすいですし(純文学とはそういうものだと言われそうですが)

 ちなみに主人公をバリ山行に連れ出す会社の同僚・妻鹿(めが)さん。彼の登山アプリのアカウント名がMEGADETHなのは笑いました。

会社がどうなるとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出してるもんだよ。それが増殖して伝染するんだよ。でもそれは予測だし、イメージって言うか、不安感の、感でさ、それは本物じゃないんだよ。まぼろしだよ。だからやるしかないんだよ、実際には。

バリ山行』p115より

近藤康太郎『アロハで田植え、はじめました』

 プロのライターであり続けるため、都会生まれの朝日新聞記者が地方転勤を直訴し、長崎で”オルタナ農夫”として生き始める。しかし、プロの農夫として生きるわけではありません。むしろ農夫のプロになっちゃいけない。プロはライターだけ。そのために早朝の1日1時間を主食である米を作るために田んぼに立つ。

 本著は米作りの奮闘記であり、資本主義や会社への反抗記もあり、生き様の表明でもある。『三行で撃つ』『百冊で耕す』の著者らしく、文章は切れ味とユーモアと反抗にあふれている。決して自分の生き方は曲げない信念の強さ、やりたいことをやり続ける。FIREではないこういう”オルタナティヴ・ライフ”もある。

革命もユートピアも犬に食わせろ。わたしがやってることは、ただ「資本主義という怪物に、力なくからめとられるだけが、人生なのではないんじゃないか?」という仮説を、人体実験で確かめようとしているだけなんだ。

『アロハで田植え、はじめました』p98より

オルタナ農夫で重要なのは、プロになることではない。ミュージシャンなり画家なり作家なり、社会運動家だっていいんだが、そしてわたしの場合はライターなんだが、「これをできないなら死んでしまう」という強い願望があるなら、実存の契機がそこにあるならば、一生しがみつく。可能性にかけて跳躍する。そのチャンスを与えてくれるのが農業なんじゃないか。と、そう言っているだけなのだ。

『アロハで田植え、はじめました』p207より
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