
2024年に引き続き、2025年に映画館で鑑賞した映画の感想置き場です。2024年は23本でしたが、今年は1週間に1本ペースで年間50本ぐらいを目標に観ていきたいものです。
※ 鑑賞したのが新→旧の順で掲載
2025年に観た映画一覧①
アプレンティス ドナルド・トランプの創り方

20代のドナルド・トランプは危機に瀕していた。不動産業を営む父の会社が政府に訴えられ、破産寸前まで追い込まれていたのだ。そんな中、トランプは政財界の実力者が集まる高級クラブで、悪名高き辣腕弁護士ロイ・コーンと出会う。大統領を含む大物顧客を抱え、勝つためには人の道に外れた手段を平気で選ぶ冷酷な男だ。そんなコーンが“ナイーブなお坊ちゃん”だったトランプを気に入り、〈勝つための3つのルール〉を伝授し洗練された人物へと仕立てあげる。やがてトランプは数々の大事業を成功させ、コーンさえ思いもよらない怪物へと変貌していく……。
ザ・ルーム・ネクスト・ドア

余命宣告されて安楽死を望む元戦場記者、その親友である作家の最後の数日間を描いた作品。議論を呼ぶテーマですが、焦点はそこではありません。どう生きたかの美学。それを追い求めているかのようで、自ら選ぶ最期もその手段でしかない。生と死を巡る会話劇も含めて、とても良い映画でしたし、心に響きました。
全体通して色彩やデザインがスタイリッシュな中で、冷蔵庫からおーいお茶出てくる意表にビビります。映画公開に合わせて原作本も発売されましたし、読んでみたい。

MR. JIMMY ミスター・ジミー ~レッド・ツェッペリンに全てを捧げた男~

職業ジミー・ペイジ、いや人生がジミー・ペイジなジミー桜井さん(参照:wikipedia)を追った海外発のドキュメンタリー。1963年に新潟県十日町に生まれ、10代でレッド・ツェッペリンに出会い、ジミー・ペイジの虜になる。それから演奏・使用機材・衣装など全てにおいてジミー・ペイジを完全再現するという狂気と探求の生涯。これをもう35年以上続けており、なりきることそのものを主題とした人生に驚愕します。
ジミー・ペイジ本人が2012年に来日した際、桜井さんのライヴを実際に観にきて公認に至るまでの前半。そこでは当時の衣装を細部まで再現するためのデザイナーとのやり取り、使用機材をほぼ同じにするためのアンプのコンデンサ、ピックアップカバーなどを細かく再現し、楽器職人に対してそこまで気にするのかってレベルの音の徹底したこだわりを見せる。beatleg magazineがライヴレポを掲載した際は、ここが間違っているとはがきでクレームを送りつけるほどです(今ではそのレポを書いたライターと仲が良いみたい)。
そんな桜井氏自身はというとジミー・ペイジの演奏を完コピ。全曲の完コピはもちろんのこと、ブート盤を可能な限り集めて1971年、1973年などあらゆる年のライヴ自体をまるまる完コピして、細かなニュアンスを再現する。劇中で語られますが、”トリビュートとはその人になり切ること。自分を出していけないし、自分なんてものはない“とはっきりコメント。それは【個性を“封印”し、“再現芸術”を‟異様”なまでに追求し続けた】というフライヤーの説明にも表れる。その再現芸術が実を結んだペイジ本人との対面&公認は前半のハイライトです。
後半は桜井さんが50歳手前で脱サラして単身渡米、ツェッペリンのトリビュート・バンドへ加入しての奮闘が中心。ここではビジネスとしてトリビュート・バンドをやっている他3人のメンバーと完全再現にこだわる桜井さんとの軋轢が描かれる。2016年に六本木EXシアターでの感動的な完全再現ライヴを成功させても、アメリカではヒット曲を中心としたツアー。そのため最終的には彼の孤独は深まり・・・。
なりきることを人生とした男の大河浪漫。これはスゴかった。そしてジミー桜井氏は60歳を超えた今も職業ジミー・ペイジを貫き、絶賛ライヴ活動中。

型破りな教室

犯罪と貧困が日常化した地域の小学校に赴任した教師が、型破りな授業で子どもたちを全国トップの成績に導いていく姿を、2011年のメキシコ・マタモロス(アメリカとの国境近く)であった実話を基に映画化したドラマ。
型破りな教室? 生徒が机に座って黒板の方にいる生の話を聞きながら板書するみたいなことはほとんどしていません。図書室に大挙押し寄せたり、校庭でなぜか宇宙のことについて話したり、教室で瞑想したり。確かに授業らしい授業はしていない。その地域のお偉いさんが授業を視察された時に落第判定を受けますし。
そもそもこの主人公教師自体が優秀なわけではなく、前の学校でも著しく評価は低い。そんな彼がすることは生徒たちの学びに対する好奇心を後押しし、間違っても良いから挑戦することを説く。GTOでも金八でも今でしょでもありませんが、落ちこぼれと言われまくった生徒たちが学びに対してポジティヴに変わっていく辺り、なかなか爽快です。
ただその背景にあるメキシコの社会的背景も描く。本作でいうとゴミ山で暮らすほどの貧困、兄がギャング、大家族ゆえのヤングケアラーなど。そういった問題提起をする中でも子どもたちのキャラクターが立っていて、実話ベースのパワーと情熱で観る者を惹きつけます。ラストの試験シーンは胸が熱くなりました。
ちなみに主人公教師役のエウヘニオ・デルベスは『コーダ あいのうた』でも歌の先生をやっていたようですが、観ているのに全然覚えがなかった・・・。
占領都市

1940年5月からの5年間、ナチス・ドイツの占領下におかれたオランダ・アムステルダムが舞台。映像はコロナ禍の風景を映し出す。しかし、この場所で過去にこんな悲劇がありました、と命の大小も悲惨さも関係なく130箇所分を淡々と語っていくドキュメンタリー。自分が観た映画の中で過去最長となる4時間11分もの間、ただただそこで起こった事実を語り続ける。
殺されたや処刑という言葉を100回ぐらい見ますが、重くはありません。映像は現代で過去の映像は使いませんし、悲惨さに拍車をかけることはしないし、ナレーションはずっと淡々としていてドラマチックな抑揚もないです。だから5時間ぐらいの長さに感じました。オススメはしません。ですが、今そこに映し出されている風景はこうした歴史の積み重ねた上にあることを思い出させます。