2020年のベスト映画15本。劇場鑑賞数80本から選出しています。順位が決めれず以下のように並んでますけども、最後の3本がトップ3です。やっぱりヒューマンドラマ系ばかり観ているので、ランクインしているのもほぼ同系。『テネット』も観ずに終わってしまいました。とはいえ、下記に挙げた作品は良いものですので、お時間あればぜひともご鑑賞ください。
燃ゆる女の肖像
お互いの感情は、始めは静かに揺らぐ炎だったが、ある時を境にして一気に燃え上がる。相手を見ること、相手から見られること。画家とモデルの関係性であった見る・見られるは、やがて見つめ、見つめられるに変わっていく。交わる視線、それゆえの想いの増幅、情念の猛り。女性だけのユートピアが生むロマン、絵画のような美しいシーンの連続。
それでも、時間と社会が彼女たちの関係を許さない世界に引きずりだす。別れても想い合っている2人。決して忘れられない時間と温もり。ラストシーンは鑑賞者にも選択を迫るようで苦しさを覚えた。
ある画家の数奇な運命
鑑賞時間が長いと言われている『TENET』よりもさらに長い3時間9分の本作は、僕が劇場で観た作品では過去最長です。ドイツの現代アート巨匠、ゲルハルト・リヒターの若かりし日々(幼少時代~30代前半あたり)をモデルにしており、映画化の条件として名前を変え(本作の主人公の名はクルト)、何が真実で何が真実でないかを明かさないこととなっている。
前半は、ナチ政権下のドイツを描き出す。美しき叔母・エリザベト(叔母といっても20歳ぐらい)の影響で芸術に目覚めたクルト少年。だが、第2次世界大戦下の過酷な日常があり、優生思想に基づいた断種・安楽死、戦後の東西分裂、東ドイツの社会主義等の背景が描かれている。精神疾患と診断された叔母を断種によって失い、美術学校に入学した直後には父が自殺。過酷な運命に彼は翻弄された。その中で冒頭のエリザベトによる全裸ピアノの強烈インパクト、「真実は全て美しい」という言葉は、クルト少年にとって生きていく上での主題となる。
後半は、ベルリンの壁ができる前に東ドイツから西ドイツに移住し、自身が生み出す芸術・作品に思い悩み、創り出していくことについて。西ドイツにくるとガラッと変わり、オリジナリティの追求、お前の作品とはなんだ?というのをとにかく問われる。自由であるが故の苦悩。絵画は死んだみたいなことを周りに言われ、教授から全否定される中で、クルトは芸術家として目覚め、形成されていく。3時間を超える作品と言えど、日本の朝ドラ的であり、大河ドラマ的であったりで内容は明瞭な形だし、入ってきやすい。芸術とは何か?という命題に対しても向き合っていた。
ルース・エドガー
奇しくも公開時期に人種差別がタイムリーな話題となってます。とはいえ本作はより複雑で、単なる黒人差別の作品ではない。黒人と黒人の間にも溝があることや特殊な家族形態、教師による生徒への安易なカテゴライズなどをサスペンス仕立てで描く。ルースくんは優秀、その完璧さの中で本当はどんな人間なのか。 悲惨な体験をした少年を養子として迎えて素晴らしい人間に育てあげた夫婦、でも本音はどうなのか。
オクタヴィア・スペンサー演じる黒人のウィルソン先生がとにかく強烈で、この人も箱に閉じ込められないように生きてきたんだなあと憂う。本当のことを話してという人が本当の想いを話していない。勝手に押し付けられた役割・カテゴライズが人々を苦しめてしまう。と同時に人間のわからなさを突きつける。人間は複雑な面を持ち合わせ、ある人が見れるのはその一面であり、他の人が見れるのは別の一面であり。本作を観ながら、平野啓一郎氏の”分人”という考え方があるが、じわっと頭の中に浸透してきた。他者はわかるってことは、相当に傲慢なことなんだと改めて思います。
劇場
基本的には原作に忠実なストーリー。プライドだけは一丁前の売れない演劇人・劇作家の永田(山崎賢人)、青森出身で服飾の学校に通っている沙希(松岡茉優)、2人の7年間を描く。その中で『劇場』は映画に置き換えたときの見事さ。それは純粋に永田と沙希の描き方・追い方で、「靴、同じですね?」という新しいナンパ様式?から始まる恋を長い時間をかけて追っていく。2人の心が密接になるところから離れていくまで。山崎賢人くんと松岡茉優さんの演技がまた見事でしてね。
小説は3回読んでいます。公開直後に伏見ミリオン座で鑑賞後、すぐにアマゾンプライムビデオにて2回観返す。映画館とプライムビデオ見放題同時スタートっていう試みがあるからこそ、これができるというのが新鮮でした。理解力も深まりますしね。
アンダードッグ
前後編合わせて4時間半の大作となる劇場版。ボクシング映画、けれどもスター選手をみるわけではなく。しがみつく者、チャンピオンを目指し邁進する者、何かをこじ開けようとする者、それぞれが拳を通して見る未来はいかようか。迸る熱量たっぷりの試合を前後編の終局に置き、トップランカーの試合ではないけれど観る者の胸に訴えかける。
日本でトップランカーになろうと、世界チャンプにならないとボクシングで生活していくことは容易ではないのか。「輝けるのは世界チャンピオンだけ」ってセリフはそういう意味なのかなと思いました。それにしても、映画監督じゃなくて役者として出演していた、二ノ宮隆太郎さんのヘイコラ感MAXのデリヘル店長役は印象的だったな。
罪の声
塩田武士さんの1番のベストセラー小説の映画化。塩田さんの作品は7冊ぐらい読んでて、本作も文庫化された時に読了。冒頭の脅迫テープのシーンから、ずっとのめりんだままでした。映画の完成度は想像以上に高い。実在した昭和の未解決事件を基にした創作とはいえ、報道の矜持、社会の歪み、問われる正義。そして、犠牲になる子どもたち。
小説はなかなか難しくてあまり理解できなかったのですが(読んだのがだいぶ前だし)、映像ではスマートに描きつつ、いくつもの点がちゃんと結びついていき線をしっかり形成する。その上で重たいテーマをも内包。流れにちゃんと乗せられて観れます。声を使われてしまった人生、勝手な正義に巻き込まれてしまった人生の悲惨さ。未来を奪われた子どもたちは、それぞれでこうも人生が変わってしまうとは。辛いものがあった。
コリーニ事件
ドイツの現役弁護士作家、フェルディナント・フォン・シーラッハの世界的ベストセラー小説を映画化。映画鑑賞後に原作を読みましたが、大筋はもちろん一緒ですけど、映像表現にあたってもっとわかりやすくしているなあと感じました。
弁護士になってまだ3か月のカスパー・ライネンが、特に詳細を知らずに、ある殺人事件の犯人の弁護人を引き受ける。けれども殺害された相手は、幼少期から親代わりのように自分を育て、弁護士になる後押しをしてくれたベテランの大物実業家(親友の祖父)だった。殺害犯は初老といえる年齢のイタリア人・コリーニだったが、とにかく黙秘を続けており、弁護方法と恩人の死で主人公は二重の苦悩。ところが、殺害の証拠品として挙げられた銃を見て、カスパーは動き出す
本作は犯人はもうわかりきっていて、動機の解明が焦点。ですけど、事実の積み重ねによって、ここまで大きなうねりを生み出すとはと驚いた。ドイツの過去がもたらした悲哀と憎悪。辿り着いた法の不条理。実際にこの小説はドイツの司法をも動かしており、時を超えても罪が消えることはない。法の重み、正義の在り方。静かな迫力を持った力作
朝が来る
辻村深月さんの原作は文庫化されたときに読了(多分、2年前ぐらい)。ドキュメンタリーのようなタッチで描かれていく本作は、産みの親と育ての親、特別養子縁組、不妊治療、望まない妊娠など重いテーマを内包する。加えて河瀨監督の大自然マジック(光・海・緑・風等)による輝きと心情への寄り添い。さらには役積みによる役者のその役への修練度がもたらすリアルと臨場感。
幸福を得る夫婦と喪失感に苛まれて堕ちていく少女。そのコントラストはあまりに鮮明で残酷である。産んだことを周りに無かったことにして生きていくことを強制されるし、未成年出産後の生きる困難はただただ観ていて辛い。学校へも行けずに新聞配達、そして家族との不和と溝。『志乃ちゃん~』から印象的な演技を残し、『星の子』でまーちゃんを演じてた蒔田さんはさらに凄みを感じさせるもの。繋がる2人の母親、子の向けるまなざし、光と救済。予想以上に引き込まれた一作です。
ハッピーオールドイヤー
2021年に入ってから時を経るごとに影響を受けている映画だなあと思います。私自身が”モノでは満たされない、経験の方が重要”ということを学び・気づいてから今年は、断捨離と言えないまでもモノを手放しています。そうなったきっかけは、やっぱり本作なのかなあと思っています。
断捨離こそ正義!の大義名分のもと、ゴミ袋というブラックホールに物を捨てて、捨てて、捨てまくる。写真等はクラウドで管理し、音楽や本はサブスク等を利用してくのが正解だ。多分、今後は服とかもそうなりそう。服に関して言えばジーンさんは、家では白いオーバーサイズTシャツと黒系のショートパンツ、外では白の襟付きシャツとネイビーのワイドパンツとユニフォーム化しています。
捨てるを邪魔するのは、自分の中にある思い出や感情。これらをシャットダウンしないと捨てることは、はかどらない。後悔も敵でしかない。そんな中、協力者の兄が”世界のKonMari(近藤麻理恵さん)”のときめきのこんまりメソッドを手本に観てる。おそらくNetflixの番組。KonMariさんは顔がギリギリ映らない感じで3、4回出てくるんだけど、その度に兄妹で煽ってて笑う。
捨てる時にどうしても消えない罪悪感、それでも捨てるのは前へ進むため。物を整理することは、ひいては自然と人間関係の整理・精算につながっていく。断捨離を通して浮かび上がる”選択の重要性”。人生はその連続である。様々な過程を経て、ラストに溢れ出すジーンの感情は、なかなかに切ないものがありました。
ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー
ハチャメチャな物語だけど、クレイジーでいて美しい。青春は味わったもの勝ちだ。これ観ると、自分に青春はあったのかと悲しくなる(笑)。だってパーティーとか行ったことないですし。そして、多様性を描くのも次の段階ということか。誰の個性も否定しない、誰の人生も否定しない。下ネタが過ぎるのと鈴木福くんの進化系みたいな人が気になるけど、おもしろかったです。あまり多くを語るよりも観てほしい!っていう作品。
ミッドサマー
2020年に唯一、2回観た映画。通常版とディレクターズカット版という細かい違いはありますけども。「オラが村のしきたりを舐めんな」とお叱りを受けるような、スウェーデンの秘境における伝統祭に行ったがための惨劇。文化が違えば、生き方が違うし、ルールが違う。人間は怖い。ただ、生命は循環する。解放、昇華、微笑み。ホラーに分類されるといえど、コメディっぽく笑える部分もあったりします。なんにせよジワジワと内側を侵食してきますね。
ディレクターズカット版は、ダニーとクリスチャンがさらに多く喧嘩して行き違い、精神に重石を乗せるホルガの嫌〜な儀式がもうひとつ増え、急にカットインしてきたモザイクが葬られる。こちらの方が熊ファイヤー度は高し。.
はちどり
1994年の韓国、中学2年生になる少女・ウニを通してみる日常、その日常を超えて繋がっていく世の中。理不尽や疎外感による14歳の心の揺れ動きを繊細に捉え、彼女を通して自分と周りの人間について振り返る。ヨンジ先生の言葉を手がかりに。”顔は知ってても、心まで知ってる人はどれだけいますか”
淡々と描いていく中で本作では、登場人物のほとんどが弱さをみせるのも印象的。あの父親だって兄だって例外じゃない。苦しみや痛みを抱えずに生きている人間はいないというようだった。『世界は不思議で美しい』は、”日常の中には悲劇も起きる一方で、生きる価値を感じる美しい出来事もある”という意(ユリイカ5月号のキム・ボラ監督インタビュー参照)。観終わると、静かに心に迫ってくるものが確かにあった。
三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実
三島由紀夫氏の小説は昨年の新装版発売はあったものの(この映画公開のあと)、まだ6~7冊ぐらいしか読めてません。この時代は学生運動が盛んだった頃。そんな程度の知識で本作に臨んだわけですが、自分がサンドバッグにでもなったかのように言葉の乱打に遭います。
完全アウェイの中で討論会に乗り込んだ三島氏が、全共闘に対して論破ではなく説得しているのが印象的でした。討論内容は、抽象的で難しい。他者、持続性、天皇論などなど。次元の違いというのをはっきりと感じる。とはいえ小説家・平野啓一郎氏や哲学者・内田樹氏がポイントで出てきて解説してるので、自分の中でも少しだけ整理ができるかな。
とにかく伝わるのは、言葉には重みがあり、怖さがあり、力があるということです。本作を観ると、言葉に対してもっと誠実に向き合うことが必要だと痛感する。
his
岐阜県白川町で撮影された一作。女性が働きに出て男性が主夫する形だったり、それ故に子育ての仕方がわからない女性側の苦悩であったり、はたまた男性カップルによる子育てとか。離婚のための親権争う法廷劇がリアルで痛切だけど、個人個人の愛のカタチ、新しい家族としての形・在り方など問いかけてることは多い。
でも、今泉監督の作品らしく人々に人情味がある。中盤で子どもが真実を言っているけど(パパはしゅんくんが好きで、しゅんくんはパパが好き。どこが変なの?って台詞)、その愛の形は成長すると当たり前ではなく変なことになってしまう。捉われずに考え、理解すること。そして、鈴木慶一さん演じる緒方さんの「誰かに出会って影響を受ける。それが人生の醍醐味」という台詞が凄く印象的でした。全部観てるわけではないですけど、今泉作品では一番良いかも。
許された子どもたち
実際に起こった複数の事件から着想を得て、8年の歳月をかけて完成した自主製作映画。主に殺人を犯した加害者である中学生男子からの視点で描かれている。加害者視点っていうのがあまり観たことないし、本作の肝の部分だと思います。罪と赦し、被害者と加害者、無責任な正義、炙り出される現代社会の歪み。法ではなく、人が人を裁く恐ろしさと愚かさ。安易な救済は無い。衝撃だけが心に残る。
観終わって1日過ぎても内側で渦巻いているものがありました。映画鑑賞後にYoutubeで配信されている、活弁シネマ倶楽部による内藤監督のインタビュー(1時間半ある)を3回ほど観て、理解を深めました。