2024年版に続き、2025年も継続して同内容のものを新たに定期更新していきます。2025年版は読んだ本一覧とし、基本的には読了したものを全部載せていきます。近い内容のことはX(旧Twitter)に書いたりしますが、ここでしか書かないこともあるので、お時間あるときにお読みいただければ幸いです。
”読書のお供に”なんて言うつもりもありません。こんなん読んでるんだと知っていただければ十分です。
2025年読んだ本一覧①
横川理彦『NEIRO よい「音色」とは何か』
最後に「よい音色とは何か?」という問いの答えを考えてみます。究極的にいうならば「よい音色のあり方は、状況による」ということになります。音が鳴っている環境があり、そこに存在する人間が音を聞いて、音色のよさを感じ取ります。音環境には、どうしてその音が鳴っているのかが、科学・歴史・文化的に条件づけられ、それを受け取る人間の側も生物的・文化的な存在です。
『NEIRO よい「音色」とは何か』p272より
音色についての序章文があり、”音は周波数の時間的変化である”で口火を切る第1章「音色の科学」へと進む。その後は楽器の音色、声の音色、アンサンブルの音色と章ごとに解説される。第1章は内容として興味深いものもありますが、第2章からは”ピアノ:〇年に生まれ、こういう音色でこういう使用方法で”みたいな説明文があり、さらにQRコード先の動画で補完する形が続く。
基本的に絵や図、楽譜がない。ほぼほぼ文章で構成され、あとはYouTubeでよろしく!のため、本←→動画の行ったり来たりをする必要がある。ゆえに読み手への負荷が大きい。しかし網羅性は高いため、資料としては十分。ただ帯文にある”なぜビリー・アイリッシュの声は心地よく聞こえるのか?”の解答はないので注意。
春日武彦『死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか』
正月から読むものではないと思いますが(1/3読了)、著者が触れてきた書物や映画、自身の体験等を交えて語られる死についての論考。<グロテスク><呪詛><根源的な不快感>の三要素が大きく絡んでいると著者は考えているそうですが、読むと死の捉え方はいろいろあると感じます。
結局、死を体験して帰ってきた人など存在しない。その事実に勝手に恐怖や美しさを投影している部分はあるんだろうなあと。
死は当人にとって生涯最大の事件である。人生は強制終了させられ、残された人たちは呆然とする。 死後にどうなるのかは、誰にも分からない。無とか空虚、永劫といったイメージが生々しく立ち上がり、わたしたちは困惑する
『死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか』p3より
ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』
何年か前にヘッセの『車輪の下』を読みましたが、最初の方で断念。去年ようやく積読してたものを読みました。それから『春の嵐』にも手を伸ばし、ヘッセの文章には品があるということをようやく理解できました。
そして本書です。今年で40歳を迎える自分にも老いは進行/侵攻してくるわけで、”良く老いる”とは何かというテーマ性を持つ詩やエッセイからヒントがないかと読みました。見事な自然描写の傍らで青年と老年の境をつづる”夏の終わり”、年を取っていることは若いことと同じように神聖な使命だと述べる”老齢について”など。それらを始めとした文章から、年を取るにつれての心構えや受け入れるという行為を大事にしなきゃいけないのかと思わされる。
しかしながら、”人は成熟するにつれて若くなる。全ての人にあてはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ(p72)”といえるヘッセの気の持ち用は、簡単に真似できるもんじゃないですね。
年をとるということは、たしかに体力が衰えてゆくことであり、生気を失ってゆくことであるけれど、それだけではなく生涯のそれぞれの段階がそうであるように、その固有の価値を、その固有の魅力を、その固有の知恵を、その固有の悲しみをもつ
『人は成熟するにつれて若くなる』p71より